前エントリーに続き、昨年高裁判決前後に月刊FACTAに掲載された記事を転載させていただきます。
本12月号記事では、高裁判決を受け、その評価と背景を取材されています。
----
■2009年12月号
【福島汚職「賄賂0円」判決の前代未聞】
有罪となったが、「無形の賄賂」と苦しいレトリック。佐藤栄佐久前知事の執念の前に、特捜部は顔色なくす。
10月14日、東京・霞が関の裁判所合同庁舎。東京高裁の622号法廷で午後1時半の開廷直後、判決主文が言い渡された。記者たち十数人が入り乱れて飛び出してくる。携帯電話で司法記者クラブや新聞、テレビの社会部に速報する切迫した声が、廊下にこだました。
「有罪です。栄佐久被告が懲役2年、執行猶予4年。祐二被告が懲役1年6月、執行猶予4年です」
判決をリレーして聞くために外で待機していた同僚記者が尋ねた。
「追徴金はどうした?」
「あれ? あれ?」
東京高裁刑事5部(若原正樹裁判長)は、福島県汚職事件で収賄罪に問われていた前知事の佐藤栄佐久被告と、共犯とされた弟の祐二被告に対して、一審の東京地裁による有罪判決を破棄、2人の刑を軽くすると同時に、一審判決が祐二被告に課した追徴金をゼロにする判決を言い渡した。収賄罪は賄賂額を追徴金で没収する。賄賂額認定は事件の核心だ。それを「証拠上不明」なのでゼロ査定にしたのである。
|賄賂金額がついに消滅
法廷記者たちが困惑したのも無理はなかった。メディアに配られた判決要旨もわかりにくかったが、本当の混乱の原因は、誰も予測していなかった判決内容そのものにあった。
解説記事が配信されたのは夜になってから。異例の遅さである。翌朝の新聞記事はさらに奇妙だった。有罪判決なのに、元東京地検特捜部長の宗像紀夫主任弁護人は、記者会見で「実質的な無罪判決だ」と勝ち誇っている。その隣に載っている東京高検渡辺恵一次席検事のコメントは「検察官の主張が受け入れられず遺憾」というもの。どっちが勝者かわからないほどのねじれぶりだった。
判決の骨格を見てみよう。東京地検特捜部は、栄佐久知事の「天の声」によって前田建設が木戸ダム工事受注に成功、その謝礼として意を受けた水谷建設が祐二の会社「郡山三東スーツ」本社工場の土地を8億7300万円余で買ったことをとらえ、時価との差益と、取引後に祐二被告から会社再建に必要との要請で水谷建設から追加で支払われた1億円の計2億円弱が賄賂だとして起訴した。一審の東京地裁は、追加の1億円は賄賂でないとしてばっさり削除。祐二に7300万円余りの追徴金を課した。すでに賄賂額の認定は半額以下になっていたのである。
東京高裁は一審判決にならい、栄佐久が県の坂本晃一元土木部長に「天の声」を発したと認め、弁護側が公判で立証した「知事室のアリバイ」(本誌10月号参照)については門前払いで退けた。その一方で、収賄額認定にあたり「天の声」とセットで収賄罪成立の要件となる、兄弟の「共謀」の中身に踏み込んだ。
判決は「土地売買の換金の利益を得るとの認識」にとどまるとして、「(時価との)差額の利益を得る意思連絡を認め、賄賂として受け取る旨の共謀まで認めたのは事実誤認だ」と一審判決を批判して破棄。しかも栄佐久については「利益を得る認識がない」とまで言い切った。
それでも「換金の利益」が賄賂だとして収賄罪自体は成立させたが、朝日新聞が「得たのは『無形のわいろ』だとする異例の判断を示した」と書いたように、これは曲芸的なレトリックと言える。しかもここに至って2億円近くあったはずの賄賂は完全に消滅してしまった。宗像弁護士は「8億7千万円の価値のある土地を、8億7千万円で売ったという実質だけが残った。これでは通常の売買だ。どんな犯罪性があるのか」と呆れている。
「換金の利益」とは「売れないものを買ってくれた」という意味で、収益は含まれない。収賄罪は「全体の奉仕者」である公務員の犯罪として厳格に適用されてきたが、換金の利益のみで収賄罪を成立させた判決は初めてだと思われる。
この土地の売却にあたっては、創価学会も会館建設用として興味を示し、現在はショッピングセンターとして盛業である。祐二に会社再建の資金が急場に必要だった事情があったにせよ、前田建設にどうしても買ってもらわなくてはならない土地ではなかったのだ。
収賄罪は成立しているが、中身はない。この、ある意味大変テクニカルな判決の書きぶりは、もはや事実などどうでもよいかに見える。
若原裁判長は1979年任官の司法修習26期。同期には、「君はさだまさしの『償い』という歌を知っているか」と法廷で説諭した山室惠(現東京大学法科大学院教授)、破産手続きの改革を行った園尾隆司判事といった大物裁判官がそろう。本人も司法研修所教官を務めるなど、東京まわりの裁判官のエリートである。転任した先々で派手な事件に当たり、死刑判決を2回出すなど厳しい判断も目立つが、前任地の大阪高裁では検察の裏金を明かした直後逮捕された三井環元大阪高検公安部長の詐欺・収賄事件を担当。実刑判決を出したが「被告の直接体験の限度で不正流用の事実があったといわざるを得ない」と裏金の存在を認めるくだりをわざわざ書き加えるなど豪胆さも併せ持つ。
この細心と雑駁が同居する判決を眺めると、有罪判決には仕立てたものの、中身をがらんどうにして、暗に「無意味な裁判」と言っているかに見える。矛先はもちろん東京地検特捜部である。一審有罪判決後、「控訴すれば完全勝利」と大見得を切って実刑を求めてきた特捜部は、焼けビルのごとく収賄罪の廃墟と化してしまった控訴審判決を前に、顔色をなくしているのだという。
|特捜検察の「悪夢」は続く?
さらに特捜検察を追い詰めるかも知れない「次の一手」はすでに打たれていた。判決直前の10月8日、弁護団は坂本晃一元土木部長を偽証罪で福島地検に告発した。受理されて東京地検に回付されている。
なぜ今、偽証罪なのか。ある可能性に思い至る。――仮に告発を受けた東京地検が不起訴にしたとする。不服申立により、市民で構成される検察審査会に付される。起訴相当の議決を再び不起訴にしたら
今まではそれで終わりだった。ところが、今年5月施行の改正検察審査会法で検察審査会が2回目の「起訴議決」に至れば起訴は義務になる。しかも検察官に代わって裁判所が指定した弁護士が起訴するのだ。これは、特捜部にとっては「悪夢」だろう。
この事件では談合罪でも告発が行われている。すでに3年の時効が成立しているはずだが、現在、祐二が起訴されているので時効は停止。一審・二審判決がわざと雑に扱ってきた「天の声」と談合の事実が、このルートで解明される可能性もある。
06年の知事辞職・逮捕以来、最近まで沈黙を守ってきた栄佐久は、著書『知事抹殺』(平凡社)の刊行やブログの開設、知事時代の後援者との会合を復活させるなど、名誉回復に向けた動きを見せている。宗像弁護士率いる弁護団による司法改革をテコにした「ウルトラC」が実を結ぶのか、それとも上告した最高裁で決着を見るか。予断を許さない。
----
記事の転載を許諾くださったFACTA編集部に感謝を申し上げます。