2010年3月アーカイブ

2月16日の県議会本会議で福島県は東電福島第1原発3号機のプルサーマル受け入れを条件付で了解しました。
その2日前、河北新報に掲載されたインタビューを少し時間が経ちましたが、アーカイブとしてアップいたします。
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 プルサーマル計画大詰め
 佐藤栄佐久前福島知事に聞く

 【国民関与の仕組みを
   再処理工場操業が前提】

福島県の東京電力福島第1原発(大熊町、双葉町)と宮城県の東北電力女川原発(女川町、石巻市)でのプルサーマル計画をめぐる議論が、両県で大詰めを迎えている。福島県は1998年、全国で初めてプルサーマルの受け入れを表明し、2002年に撤回した。当時の知事で、国の原子力政策に地方から警鐘を鳴らし続けた佐藤栄佐久氏に、原子力と地域とのかかわりなどを郡山市の自宅で聞いた。

――知事時代、原子力をめぐって感じたことは。
「端的に言えば、隔靴掻痒だ。大事な問題に県や立地自治体は関与できない。国は本当に無責任なところがある。福島第1原発の使用済み核燃料貯蔵プールの設置を93年に認めた際、国は2010年には、青森県六ヶ所村の再処理工場に続く第2再処理工場が稼動し、燃料は搬出されると約束したが、1年後に覆した」
「六ヶ所村の再処理工場でさえ、まだ本格操業されていない。『廃棄物処理は福島と青森で相談すればいい』と放言した通産省(当時)の課長すらいた」

――では、いったんなぜプルサーマルを受け入れたのか。
「不信感は常に底流にあったが、廃棄物処理をめぐる法整備を国に強く求め、約束を取り付けた。それなりに対処してくれたので、プルサーマル用のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料の品質管理徹底など4項目を条件に認めた」

――02年に白紙撤回するまでの経緯は。
「99年の燃料データ捏造に始まり、茨城県東海村の臨界事故、再処理工場の度重なる計画延期、01年の東京電力の一方的な電源開発凍結宣言…。結局、4項目の条件は一つも守られなかった。とてもプルサーマルを実施する状況ではなく、02年の東電の原発トラブル隠し発覚で大爆発した」

――プルサーマルを今、どう考えればいいのか。
「原発の問題を県と電力の間の約束にしては駄目だ。国を引っ張り出さなければならない。使用済みMOX燃料をいつどう処理するのか、国が明確に示さないと、福島県が捨て場所になる」
「原子力政策はいまだに政府の専管事項。国民や国会議員がもっと関与できる形にする必要がある。政権が交代した今こそ民主的な決定システムに変える好機。福島県が積極的に提言していくことが重要だ。急いで結論を出す必然性はない。せめて再処理工場が本格操業し、行方を見極めてからでいいのではないか」

――国などの取り組みに対する評価は。
「95年に事故を起こした『もんじゅ』を、また動かすという最近の結論をみても疑問が残る。原子力安全・保安院を経済産業省から分離していないという問題もある。分離は原子力の安全を語る際の大前提だ」
「原子力をどう扱うかは、その国の民主主義の尺度となる。原子力政策は国民が決定に絡み、了解しないと動かない。押しつけでは国民的合意が出てこない。最終処分場の問題が非常に難しくなっているのは、そこに原因がある」
(平成22年2月14日付河北新報掲載)

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3月20日(土曜日)、先月に引き続き“いわきフォーラム90”主催の講演会でお話させていただきます。
特別講演会
「地方自治を語る<第2弾>
 『原発問題と地方自治』」

 いわき・らら・ミュウ 2階研修室にて
 午後1時30分~3時30分
 入場料は無料です。

詳しくはいわきフォーラム90のページをご覧ください。

また前回平成22年2月7日の講演の抄録を「日々の新聞」に掲載いただきました。転載させていただきます。

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「言論が一つの色になってしまう危うさ」

前福島県知事 佐藤栄佐久

昨秋に「知事抹殺」を出版し、県内5か所で集まりを持ちました。そのあと、民主党・小沢一郎幹事長の問題が想像以上の展開を見せました。結果的には不起訴になりましたが、マスコミは検察の流れをこと細かに追い、逮捕されてもいないのに小沢さんが犯罪者でもあるかのような扱いをしました。このマスコミのあり方は、私の問題とも絡んでいます。その報道は、つねに検察が正義なのです。

しかしネットになると様相が変わってきます。必ずしも検察が正しいわけではなく、小沢さんを支持する声が多いようです。わたしのブログでの発言も共鳴・共感を持つ人が多く、かなりのコメントが寄せられています。世論が違うんです。

会津若松での会に来てくれたビデオジャーナリストの神保哲生さんによると、原口総務相がクロスメディアの禁止を明言したそうです。「プレスと放送が密接に結びついて言論を一色にしてしまえば、そこには多様性も民主主義の下である批判も生まれない」という理由からです。

ドイツではナチス政権下で政治による国家的一元放送が行われたことを反省し、戦後にマスコミを州ごとに分割したそうです。全体主義に陥らないよう、自ら血を流したわけです。

県内をみてみます。福島、郡山などの場合、地方紙を読むには福島民報か福島民友だけです。しかしいわきの人たちはいろいろな新聞を読んでいます。団体も個性豊かです。個性がある団体が多いということは多様性があるということで、とても重要です。

東電問題のとき、幹部が「あるところを抑えてしまえば大丈夫。株主総会は乗り切れる」と言っていた、という話を聞いたことがあります。さまざまな考えを持っている団体が多ければ、そう簡単にはいかないわけです。

これまで青年会議所活動をはじめ、参議院議員、知事として複数主義(富士山型ではなく八ヶ岳方)、新地域主義を標榜し、東京一極集中や原発、道州制に異議を唱え、地方分権を訴え続けてきました。政治家や首長というのは、哲学や理念を持つことから出発します。それが政策になって国や行政が進んでいくものだと思っています。ですから知事時代には、事態が混乱することがあったとしても職員が自信を持ってやれるようにし、自分の理念や哲学を貫き通してきたんです。

ある地域のリーダーが「われわれはお上の言うことを聞いていればいいんだ」と言いまし
た。そうでしょうか。いま、日本は全体主義に向かって突き進んでいます。よこしまな権力はそのままにしておいて何かが起こったとき、一番不幸なのは国民です。その種をつぶしていくには、市民と自治体が心を一つにしてそれを監視し、闘っていくことが大事です。「このまちをどうしていくのか」というとき、力が発揮できるのは地方自治体と市民なんです。

ヨーロッパなどではつねに、血を流して民主主義を勝ち取ってきました。歴史的にドイツとフランスの主導権争いにまきこまれた、ストラスブールもそうでした。セルビアもモンテネグロも。日本には残念ながらそれがありません。

いまこそ、民主主義、人権をは何かをもう一度考える必要があります。

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