月刊「法と民主主義」2010年12月号特集企画
「検察の実態と病理──真の検察改革を実現するために」
に寄稿いたしました。以下に全文を掲載させていただきます。
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■特捜検察は、知事と福島県民を「抹殺」した
前福島県知事 佐藤栄佐久
【福島県ゼネコン汚職事件の概要】
福島県のダム建設工事の受注をめぐり06年10月、東京地検特捜部が前福島県知事佐藤栄佐久と民間人の弟を収賄罪の正犯・共犯として摘発。知事と弟が共謀し、知事が県土木部長に「天の声」を発する見返りに受注ゼネコンが別のゼネコンを使って弟が経営する会社の土地を購入、市価との差額1億7000万円が賄賂だとして起訴。しかし知事には一銭も入らず、土地売却の認識もなかった。一審東京地裁・二審東京高裁とも便宜供与(天の声)と共謀を認め有罪としたが、一審は賄賂額を1億円減額、二審に至っては賄賂額ゼロ、「換価の利益」のみという前代未聞の判決となった。自白調書の存在が有罪に影響しているが、収賄罪の要である賄賂額認定で特捜部は裁判所から強く批判された。現在上告中。詳しくは『知事抹殺』(佐藤栄佐久著、平凡社)参照。
2006年10月23日、私は東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所に収監された。独房では情報はシャットアウトされてしまい、密室の取調室では、情報を持つ者(検事)と持たない者(私)の圧倒的な格差が生まれ、被疑者は追い込まれる。自白調書とはそのようにして取るのだということを、私は身をもって知った。
いきなり任意の取り調べもなく逮捕されたので、私は事件の構造はおろか、自身が何を疑われているのかすら知らなかった。元東京地検特捜部長の宗像紀夫弁護士をはじめ4人の弁護士が交代で毎日接見に通ってくれたが、一度取調室に入ってしまえば、検事は情報過疎状態を利用して、被疑者を心理的にゆさぶることができる。
私の取り調べに当たったのはA検事だった。のちに「将来の特捜部長として最有力視されている男」だと聞いた。A検事は、「木戸ダムは○○建設で」と私が県土木部長にダム工事の業者を指定する「天の声」を発したこと、弟と共謀して弟の会社の土地をゼネコンに売ったという自白を取ろうとした。
そうすることで、弟の会社の土地売却と知事の私が結びつき、収賄罪の構成要件が満たされる。これが、特捜部の描いた「絵」だった。
A検事は基本的に温厚な人物として私に接したが、私が関与を否定したり「知らない」と言うと、激しく怒り出した。それでも弟を調べたB検事に比べれば穏やかだった。B検事の取り調べは連日午後11時過ぎまで行われ、直接の暴力こそ振るわなかったものの、怒鳴りつけ、調書の紙をぐしゃぐしゃにしたり、自分の上着を床に叩きつけるなどして弟を脅した。「中学生の娘が卒業するまでここから出さない」「福島県内ずたずたにしてやる」B検事が口にした言葉である。
福島県の事件を東京地検特捜部が担当することも異例だったが、私の後援会関係者や支持者が軒並み東京地検に呼ばれたのは、身を切られるような辛さだった。企業経営者は必ず検事にこう言われて恐怖した。「こっちには人も時間も予算も十分にある。明日会社を潰すなどわけもない」こう脅された支持者もいた。「お前が来なければ、後援会会長を呼ぶか、支持者を200人呼ぶ。どっちがいいか選べ」。これでは自分が出て行くしかない。
事情聴取は郡山行き新幹線の最終ぎりぎりまで続けられた。「帰ってよいと言われたが、まっすぐ立っていられない」「いま新幹線のドアを開けて、飛び降りてしまえば楽になれると思った」などの声が続出した。脳に要注意の部位をもつ私の妹は、1回目の取調べで体調を崩し何も食べられない中、2回目の取調べ中に一杯の水も与えられず、夕方、意識を失って倒れた。何とか郡山まで帰ったが、すぐに病院の救命救急センターに入る危険な状態に陥った。
これだけ厳しく取り調べて何を聞き出そうとしたのか。なんと「栄佐久の悪口を言え」というのであった。「上司に報告しなければならない。何でもいいから言ってくれ」と懇願した検事もいたという。収賄の証拠が出ず、捜査が迷走したため起こったことだ。多くの人が苦しむ結果となった。
私の政治家としての力の源泉は、選挙を通して有権者から信認されることにあった。それにより、私は5期18年知事を務め、原発問題をはじめ200万県民の安全や生活のために奔走することができた。そんな私の「命」といえる何の罪もない支持者=県民を特捜部は狙い撃ちした。私が無実の罪を自白することになったのは、県民をそんな苦痛にさらし続けることに耐えられなかったからである。
ことに、会社の創業メンバーとして私と一緒に働き、会社再建の先頭に立っていた総務部長が特捜部の事情聴取の朝に自殺を図り、意識不明の重体となったことは、私に大きな衝撃を与えた。しかしA検事は、その事実を取調室でちらつかせ、私をゆさぶって自白させようとした。
A検事はこうも言った。「細かい内容ではないのです。マインドを切り替えて思い出すように」。しかし私は何も知らない。何を自白したらいいのか。取調室では、私がお伺いを立ててA検事の反応を見るような関係になっていった。
A検事は、私を単純収賄で起訴するか、より犯罪類型として重い受託収賄とするか、捜査の情勢と「上のほうの意向」で変わると脅してきた。それが変わるというのである。収賄罪で有罪判決が出れば、賄賂と認定された金額を追徴金として没収される。本当に収賄したのなら、貰った金額を吐き出せばいいのだが、何しろ私は一銭も受け取っていない。単純収賄でもA検事の見立てでは一億七千万円だというのだ。そんな金額がおいそれと出せるわけがない。私とA検事とのやりとりは、まるで取引のようになっていった。
これらはいま思えば、外部との情報遮断によって作り出された「土俵」に上げられていたもので無意味かつ屈辱的な交渉だった。それが特捜検察の手法であることを知ったのは、はるか後になってからのことである。
私は、(1)天の声は発していない、(2)金には全く触っていない、(3)土地取引の金額は知らない、の三点だけは譲りたくなかった。しかし、「進行は任せてください」というA検事の作った調書は、「土木部長に"(受注は)どうなっている"と聞いた」「会社の土地は、ゼネコンが受注で知事の世話になったと感じて買ったもの」「会社の従業員は私の支援者。そのリストラに関わる問題なので弟は私に土地売却の話をしたのだろう」と、私の「天の声」と弟との共謀を認める内容になっていた。
裁判が始まると、奇妙なことが次々にわかった。特捜部が描いた構図そのものが捏造だったのである。「自分が知事の天の声を聞いた」と証言した土木部長が、自宅に2600万円もの出所不明の現金を隠し持っていた。これは特捜部が隠蔽していた事実で、弁護士が公判前整理手続で発見した。彼は特捜部に「弱み」を握られていた可能性が大きい。さらに、弁護士が連日の接見で把握していた弟の自白よりも、はるか前の日付の自白調書が4通発見された。これを使って検事は「弟はもう自白している」と、ストーリーに従った供述を関係者に求めていたのだ。
検事はメディアも道具に使った。私は取調室でA検事から「"○○(建設)は熱心"前知事、元県幹部に伝える」という大見出しの読売新聞のトップ記事を見せられた。これは衝撃だった。「県幹部」とは土木部長のことで、そのときの私は、彼が検察官に責められ苦しんでいるのではと大いに心配した。しかし、これもメディアと特捜部の「二人三脚」なのである。
私が弟の逮捕を受けて道義的責任をとる形で知事を辞職してから、メディアは検察のリークを書き立て続け、逮捕前から「真っ黒」の心証を県民や国民に与えた。裁判の傍聴席には必ず記者たちが来ていたが、いくら特捜部のストーリーが覆される証言や、ずさんな証拠があっても、それが報道されることはなかった。
郵便不正事件におけるM検事の証拠改ざんをきっかけに、メディアは特捜部のストーリー優先、不都合なことは隠蔽する体質を批判するが、裁判を取材する者にとってそれは先刻承知のことだったはずだ。しかし今に至るもメディアは本質を報じようとはせず、M検事と周辺の上司をあげつらうのみである。M検事は私の事件でも贈賄側とされるゼネコン副会長と、事件の本当のキーパーソンではないかと疑われる県庁OBの調べを担当した。「賄賂と認識して土地を買った」と法廷で証言したゼネコン副会長は、のちに「検事と示し合わせて証言をした。あれは賄賂ではなく、知事は濡れ衣だ」とまで語った。それでもなお、ごく一部の雑誌が疑問を投げかけるにとどまる。
私は国会議員時代に大蔵政務次官を務め、知事になってからは原発問題で経産省とぶつかり合い、当時の小泉首相が掲げた「三位一体改革」に呼応して全国知事会でまとめた地方への税源委譲案が、関係省庁の官僚とそのリモコンで動く官僚出身の知事たちによって骨抜きにされるのを政治家の立場からつぶさに見てきた。彼ら官僚の行動原理は「自己保身」であるが、特捜検察は加えて「自己目的化」のために自動運動する組織であることがよくわかった。検事個人をあげつらうことに意味はない。特捜検察が抱える問題は、「ひとりの悪辣な検事」の個性ではなく組織それ自体の問題であり、またメディアを含め、国民全体の体質の問題だからだ。
いま、主権者である日本国民一人ひとりが、特捜検察について公平で充分な情報が与えられたうえで、その必要性のありなしからよく考えて判断する機会が作られるべきだと私は考える。取り調べの可視化はその後の問題で、検察コントロールの一手段にすぎない。海外の可視化手段にならい導入すべきという議論に至っては、国民・県民と強い信頼関係を築き、その意思を託され実現に奮闘してきた元政治家としては安易で思考停止といわざるを得ない。
もはや、ことは「司法権の独立」の問題を超えている。国民が自分のこととして考え、決めることこそが必要なのだ。そうでなければ、いかに「検察改革」が行われたとしても、B検事が弟に投げつけたこの、特捜検察のビヘイビアをあまりにもよく言い表している言葉は、「政治的検察」の中でさらに連綿と受け継がれていくだろう。
「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」
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