裁判・司法

最高裁を受けての私のブログエントリーに元検事前田氏から疑義が示されました。

前田氏に言及した部分(「前田恒彦検事は、私の事件で水谷功氏を取り調べ、水谷氏に取引を持ちかけた検事その人なのです」)に関し、事実は異なるとFacebook記事での指摘をうけ、手元の裁判資料を仔細に確認したところ、確かに前田氏サインの調書は内容が薄く、水谷氏に関して事実関係の核心となる調書の署名は前田氏の調書の後の日付で、森本宏検事さらに、包括的に事実を構成する詳細な調書は佐久間佳枝検事名にて作成されておりました。

森本、佐久間両検事は取調べの頃から、名前が強く記憶に残っている検事です。(※)

逆に前田元検事に関しては厚労省、村木さんの事件で初めて名を知り、水谷氏の取調検事という私の事件との具体的接点ものちの報道を通じて知った、というのが思い返せば、正直なところで、検察不祥事の初期のシンボルとなった前田氏の名前を水谷証言とリンクさせ挙げたことは、事実に基づかず、落ちた犬を叩く報道を自ら体験したものとして、また真実追及を希求する当事者として安易でした。

水谷氏に「取引を持ちかけた」検事が誰であったかは調書をとった上記3人の一人であろうとしか言えない旨、お知らせた上で、当該部分を抹消線にて訂正させていただきます。


森本宏検事は、日本にとってよろしくない知事を「抹殺する」、の発言その人で、その人格を破壊するような取調べ手法に関して、一審の法廷でもその調書の任意性を問うべき証人として出廷しておりました。また佐久間佳枝検事が私の旧友である事件とは無関係な経営者に対して行った精神的拷問のような取調べは当事者本人からの話で当時より強く印象にのこっております。

「地検を敵に回すのは国家を敵に回すということだ。あなたの会社は絶対つぶす」といった、佐久間佳枝検事の言葉のメモは今読み返しても、その卑劣さ非道さに激しい憤りが蘇ってまいります。

ただ、これは検事個々のパーソナリティの問題ではなく、男女問わず個別の検事を挙げてみれば、それぞれが全て同じベクトルで、ごく普通の罪のない人々に、逃げ場のない密室で激しい精神的圧迫を加えていったのだ、ということは当初から実感として感じておりました。これはやられてみなければ信じがたいが、取り調べられた者にとっては常識なのではないでしょうか。

私は、官僚には顔が無い、と申し上げてまいりました。それは役職、役所の名前の後ろに隠れ、一切責任をとらない体質を指摘したものです。

私の事件とほぼ同じ構図の村木さんの事件、そして陸山会事件、他にも多数あると思われる表出していない冤罪事件について、虚構の自白の強要、調書・証拠の捏造、隠蔽は検察官個人にその責を帰して収束すべきものではありません。

はじき出され、訴追された前田氏の後ろで、自分に光が当たらず、胸をなでおろしている多数の検事が、自分の行っている不正義に気づきもしない検事が今も検察庁にいます。

陸山会事件の最高検報告書を見てもわかる通り、トップから変わらぬ検察組織の構造的体質をこそ、変えなければなりません。

コメント(1) 佐藤栄佐久

最高裁第一小法廷には、5人の裁判官が所属しており、その中に、私の事件に検事としてかかわった横田尤孝氏がいます。

次長検事として当時の特捜部長大鶴氏の捜査をコントロールすべき立場であった人で、起訴の判断にもかかわっていたでしょう。「審理には加わらなかった」旨、あえてエクスキューズが添えられておりましたが、かなり高位の検察側の当事者がいわばチームの一員として所属している法廷で裁かれる、というのはたして公正でありうるのか、疑問に思います。

私は知事時代、県民の立場で霞が関の多くの役所と道州制、原子力政策等を通じ激しく対立してまいりました。

裁判長の桜井龍子氏は労働省の局長を務めたたたき上げの行政官であり、いわば最高裁にあって官僚の象徴ともいうべき判事です。

霞が関を代表するような裁判長が私を裁くことはもとより、真実の追求・解明よりも、SOPを基本行動原理として動く官僚を裁判長とした法廷に、かくも複雑かつ重要な問題をはらむ事件を付す、というのも大きな恣意性を感じざるを得ません。

事件当事者の検事が属し、前例主義の官僚をリーダーとした法廷は、あえて検察捜査の在り方に大きな疑義が提示されている時期にありながら、それをチェックせずに追認するという、旧態依然とした司法の流れのまま「判断しない」結論をだすには最適な場所だったのではなかったでしょうか。

棄却、という前回の裁判を引き継いだ結論ですので、先のコメントのとおり判断に関して私の申し述べたいことは高裁判決と変わりません。司法の外、常識という観点で見るならば収賄の事実などは一切なかったのであり、私は潔白です。

高裁の時と異なるのは、行政=検察のチェック機関としての「司法」下級審のチェック機関としての「三審制」は機能していないという点に深く絶望した、という点です。

私は各所で、震災で顕在化した「人材の劣化」「統治機構の劣化」について申し上げてきましたが、最後の拠り所となるべき司法についても同様の思いを持たざるを得ません。

昨今も一切犯罪にかかわりのない潔白の人間が、なぜか詳細な自白をする、という事件が起こっています。
これは、もとより警察・検察による捜査取り調べを追認する機関に退化した司法が根となった劣化です。

私は知事時代、原子力政策をはじめとして惰性で突き進む巨大なブルドーザーのようなと霞が関と闘い、そして同じように、真実の在り処なぞものともせず、無辜の人間の人格を破壊しながらフィクションである自白、起訴、有罪へと理性なく突き進む検察とも闘ってまいりました。

いま日本を揺るがしている原子力政策と、検察-司法、二つの劣化を当事者として、文字通り身を以て経験した私が、止まらず闘い続けること、声を上げ続けることが、日本の劣化を食い止める楔となると信じております。

お力添えをお願い申し上げます。

コメント(4) 佐藤栄佐久

最高裁判決を受けて各社に配布したコメントをブログにも掲載させていただきます。

平成24年10月16日
佐藤栄佐久


 本日10月16日、最高裁判所は、私、佐藤栄佐久の上告を棄却する決定を下しました。

 私は、この裁判で問われている収賄罪について無実であり、最高裁の決定には到底、承服できません。真実に目を背けるこの国の司法に対して、大変な失望を感じています。

 そもそも、この事件は「ない」ものを「ある」とでっち上げた、砂上の楼閣でした。
 私と弟は収賄罪で突然逮捕され、世間から隔絶された東京拘置所の取調室で、東京地検特捜部の検事から身に覚えのない自白を迫られました。
 私の支持者たちが軒並み特捜部に呼び出されて厳しい取り調べを受けている、それによって自殺未遂者も出ている。私は独房の中で悩み、そして、「自分ひとりが罪をかぶって支持者が助かるなら」と、一度は虚偽の自白をいたしました。

 しかし裁判が始まると、収賄罪の要件は次々に崩れていきました。私が知事室で土木部長に発したという「天の声」は、不可能とのアリバイが証明されました。また、「知事への賄賂で弟の会社の土地を買った」と証言したサブコン水谷建設の水谷功元会長は、「検事との取引でそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」と証言しています。特捜部の描いた収賄罪の構図は、完全に崩れてしまいました。

 私の弟は、東京拘置所の取調室で、担当の検事からこんなことを言われていました。
「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」
 今にして思えば、これが事件の本質だったのかも知れません。

 私は知事在任中、東京電力福島第一・第二原発での事故やトラブルを隠蔽する、国や電力会社の体質に、福島県210万県民の安全のため、厳しく対峙していました。国から求められていたプルサーマル実施についても、県に「エネルギー政策検討会」を設置して議論を重ね、疑義ありとして拒否をしていました。事件は、このような「攻防」を背景に起きました。
 大変残念ながら、その後プルサーマルを実施した福島第一原発3号機を含む3つの原子炉が、福島原発事故でメルトダウンを起こし、私の懸念は、思っても見ない形で現実のものとなってしまいました。私たちのかけがえのない「ふるさと福島」は汚され、いまも多くの県民が避難を余儀なくされる事態が、いまだ進行中です。苦難を余儀なくされ、不安のうちに暮らしている県民を思うとき、私の胸はひどく痛みます。

 一方、私の事件の直後に起きた郵便不正事件のフロッピーディスク証拠改竄事件の発覚によって、特捜部の、無理なストーリーを作っての強引な捜査手法が白日の下にさらされました。フロッピー改竄事件で実刑判決を受け、服役した前田恒彦検事は、私の事件で水谷功氏を取り調べ、水谷氏に取引を持ちかけた検事その人なのです。

 当然、私の事件はすべて洗い直され、私には無罪判決が言い渡されるべきでした。
 しかし、最高裁は私と検察側双方の上告を棄却した、そう聞いています。
 確定した二審判決である東京高裁判決は、大変奇妙なものでした。私と弟の収賄を認めたにもかかわらず、追徴金はゼロ、つまり、「賄賂の金額がゼロ」と認定したのです。そして判決文では、「知事は収賄の認識すらなかった可能性」を示唆しました。ならば無罪のはずですが、特捜部の顔も立てて、「実質無罪の有罪判決」を出したのです。
 今日の決定は、こんな検察の顔色を伺ったような二審判決を、司法権の最高機関である最高裁判所が公式に認めたということなのです。当事者として、こんな不正義があってよいのかと憤ると同時に、この決定は今後の日本に間違いなく禍根を残すと心配しています。

 福島県民の皆様。日本国民の皆様。
 私は、弁護団とも相談しながら、今後とも再審を求めることを含めて、無罪を求める闘いを今後も続けていきます。どうか、お心を寄せていただきますようお願い申し上げます。

※前田検事に関する記述部分は本人からの疑義の指摘を受け、事実関係が確認できなかったため、抹消線を引かせていただきます。別途記載したエントリーをご覧下さい。

コメント(12) スタッフ

月刊「法と民主主義」2010年12月号特集企画
「検察の実態と病理──真の検察改革を実現するために」
に寄稿いたしました。以下に全文を掲載させていただきます。

--
■特捜検察は、知事と福島県民を「抹殺」した
前福島県知事 佐藤栄佐久

【福島県ゼネコン汚職事件の概要】
 福島県のダム建設工事の受注をめぐり06年10月、東京地検特捜部が前福島県知事佐藤栄佐久と民間人の弟を収賄罪の正犯・共犯として摘発。知事と弟が共謀し、知事が県土木部長に「天の声」を発する見返りに受注ゼネコンが別のゼネコンを使って弟が経営する会社の土地を購入、市価との差額1億7000万円が賄賂だとして起訴。しかし知事には一銭も入らず、土地売却の認識もなかった。一審東京地裁・二審東京高裁とも便宜供与(天の声)と共謀を認め有罪としたが、一審は賄賂額を1億円減額、二審に至っては賄賂額ゼロ、「換価の利益」のみという前代未聞の判決となった。自白調書の存在が有罪に影響しているが、収賄罪の要である賄賂額認定で特捜部は裁判所から強く批判された。現在上告中。詳しくは『知事抹殺』(佐藤栄佐久著、平凡社)参照。

 2006年10月23日、私は東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所に収監された。独房では情報はシャットアウトされてしまい、密室の取調室では、情報を持つ者(検事)と持たない者(私)の圧倒的な格差が生まれ、被疑者は追い込まれる。自白調書とはそのようにして取るのだということを、私は身をもって知った。

 いきなり任意の取り調べもなく逮捕されたので、私は事件の構造はおろか、自身が何を疑われているのかすら知らなかった。元東京地検特捜部長の宗像紀夫弁護士をはじめ4人の弁護士が交代で毎日接見に通ってくれたが、一度取調室に入ってしまえば、検事は情報過疎状態を利用して、被疑者を心理的にゆさぶることができる。
 私の取り調べに当たったのはA検事だった。のちに「将来の特捜部長として最有力視されている男」だと聞いた。A検事は、「木戸ダムは○○建設で」と私が県土木部長にダム工事の業者を指定する「天の声」を発したこと、弟と共謀して弟の会社の土地をゼネコンに売ったという自白を取ろうとした。

そうすることで、弟の会社の土地売却と知事の私が結びつき、収賄罪の構成要件が満たされる。これが、特捜部の描いた「絵」だった。

 A検事は基本的に温厚な人物として私に接したが、私が関与を否定したり「知らない」と言うと、激しく怒り出した。それでも弟を調べたB検事に比べれば穏やかだった。B検事の取り調べは連日午後11時過ぎまで行われ、直接の暴力こそ振るわなかったものの、怒鳴りつけ、調書の紙をぐしゃぐしゃにしたり、自分の上着を床に叩きつけるなどして弟を脅した。「中学生の娘が卒業するまでここから出さない」「福島県内ずたずたにしてやる」B検事が口にした言葉である。

 福島県の事件を東京地検特捜部が担当することも異例だったが、私の後援会関係者や支持者が軒並み東京地検に呼ばれたのは、身を切られるような辛さだった。企業経営者は必ず検事にこう言われて恐怖した。「こっちには人も時間も予算も十分にある。明日会社を潰すなどわけもない」こう脅された支持者もいた。「お前が来なければ、後援会会長を呼ぶか、支持者を200人呼ぶ。どっちがいいか選べ」。これでは自分が出て行くしかない。

 事情聴取は郡山行き新幹線の最終ぎりぎりまで続けられた。「帰ってよいと言われたが、まっすぐ立っていられない」「いま新幹線のドアを開けて、飛び降りてしまえば楽になれると思った」などの声が続出した。脳に要注意の部位をもつ私の妹は、1回目の取調べで体調を崩し何も食べられない中、2回目の取調べ中に一杯の水も与えられず、夕方、意識を失って倒れた。何とか郡山まで帰ったが、すぐに病院の救命救急センターに入る危険な状態に陥った。

 これだけ厳しく取り調べて何を聞き出そうとしたのか。なんと「栄佐久の悪口を言え」というのであった。「上司に報告しなければならない。何でもいいから言ってくれ」と懇願した検事もいたという。収賄の証拠が出ず、捜査が迷走したため起こったことだ。多くの人が苦しむ結果となった。

 私の政治家としての力の源泉は、選挙を通して有権者から信認されることにあった。それにより、私は5期18年知事を務め、原発問題をはじめ200万県民の安全や生活のために奔走することができた。そんな私の「命」といえる何の罪もない支持者=県民を特捜部は狙い撃ちした。私が無実の罪を自白することになったのは、県民をそんな苦痛にさらし続けることに耐えられなかったからである。

ことに、会社の創業メンバーとして私と一緒に働き、会社再建の先頭に立っていた総務部長が特捜部の事情聴取の朝に自殺を図り、意識不明の重体となったことは、私に大きな衝撃を与えた。しかしA検事は、その事実を取調室でちらつかせ、私をゆさぶって自白させようとした。

 A検事はこうも言った。「細かい内容ではないのです。マインドを切り替えて思い出すように」。しかし私は何も知らない。何を自白したらいいのか。取調室では、私がお伺いを立ててA検事の反応を見るような関係になっていった。

 A検事は、私を単純収賄で起訴するか、より犯罪類型として重い受託収賄とするか、捜査の情勢と「上のほうの意向」で変わると脅してきた。それが変わるというのである。収賄罪で有罪判決が出れば、賄賂と認定された金額を追徴金として没収される。本当に収賄したのなら、貰った金額を吐き出せばいいのだが、何しろ私は一銭も受け取っていない。単純収賄でもA検事の見立てでは一億七千万円だというのだ。そんな金額がおいそれと出せるわけがない。私とA検事とのやりとりは、まるで取引のようになっていった。
 これらはいま思えば、外部との情報遮断によって作り出された「土俵」に上げられていたもので無意味かつ屈辱的な交渉だった。それが特捜検察の手法であることを知ったのは、はるか後になってからのことである。

 私は、(1)天の声は発していない、(2)金には全く触っていない、(3)土地取引の金額は知らない、の三点だけは譲りたくなかった。しかし、「進行は任せてください」というA検事の作った調書は、「土木部長に"(受注は)どうなっている"と聞いた」「会社の土地は、ゼネコンが受注で知事の世話になったと感じて買ったもの」「会社の従業員は私の支援者。そのリストラに関わる問題なので弟は私に土地売却の話をしたのだろう」と、私の「天の声」と弟との共謀を認める内容になっていた。

 裁判が始まると、奇妙なことが次々にわかった。特捜部が描いた構図そのものが捏造だったのである。「自分が知事の天の声を聞いた」と証言した土木部長が、自宅に2600万円もの出所不明の現金を隠し持っていた。これは特捜部が隠蔽していた事実で、弁護士が公判前整理手続で発見した。彼は特捜部に「弱み」を握られていた可能性が大きい。さらに、弁護士が連日の接見で把握していた弟の自白よりも、はるか前の日付の自白調書が4通発見された。これを使って検事は「弟はもう自白している」と、ストーリーに従った供述を関係者に求めていたのだ。

 検事はメディアも道具に使った。私は取調室でA検事から「"○○(建設)は熱心"前知事、元県幹部に伝える」という大見出しの読売新聞のトップ記事を見せられた。これは衝撃だった。「県幹部」とは土木部長のことで、そのときの私は、彼が検察官に責められ苦しんでいるのではと大いに心配した。しかし、これもメディアと特捜部の「二人三脚」なのである。

 私が弟の逮捕を受けて道義的責任をとる形で知事を辞職してから、メディアは検察のリークを書き立て続け、逮捕前から「真っ黒」の心証を県民や国民に与えた。裁判の傍聴席には必ず記者たちが来ていたが、いくら特捜部のストーリーが覆される証言や、ずさんな証拠があっても、それが報道されることはなかった。

 郵便不正事件におけるM検事の証拠改ざんをきっかけに、メディアは特捜部のストーリー優先、不都合なことは隠蔽する体質を批判するが、裁判を取材する者にとってそれは先刻承知のことだったはずだ。しかし今に至るもメディアは本質を報じようとはせず、M検事と周辺の上司をあげつらうのみである。M検事は私の事件でも贈賄側とされるゼネコン副会長と、事件の本当のキーパーソンではないかと疑われる県庁OBの調べを担当した。「賄賂と認識して土地を買った」と法廷で証言したゼネコン副会長は、のちに「検事と示し合わせて証言をした。あれは賄賂ではなく、知事は濡れ衣だ」とまで語った。それでもなお、ごく一部の雑誌が疑問を投げかけるにとどまる。

 私は国会議員時代に大蔵政務次官を務め、知事になってからは原発問題で経産省とぶつかり合い、当時の小泉首相が掲げた「三位一体改革」に呼応して全国知事会でまとめた地方への税源委譲案が、関係省庁の官僚とそのリモコンで動く官僚出身の知事たちによって骨抜きにされるのを政治家の立場からつぶさに見てきた。彼ら官僚の行動原理は「自己保身」であるが、特捜検察は加えて「自己目的化」のために自動運動する組織であることがよくわかった。検事個人をあげつらうことに意味はない。特捜検察が抱える問題は、「ひとりの悪辣な検事」の個性ではなく組織それ自体の問題であり、またメディアを含め、国民全体の体質の問題だからだ。

 いま、主権者である日本国民一人ひとりが、特捜検察について公平で充分な情報が与えられたうえで、その必要性のありなしからよく考えて判断する機会が作られるべきだと私は考える。取り調べの可視化はその後の問題で、検察コントロールの一手段にすぎない。海外の可視化手段にならい導入すべきという議論に至っては、国民・県民と強い信頼関係を築き、その意思を託され実現に奮闘してきた元政治家としては安易で思考停止といわざるを得ない。

 もはや、ことは「司法権の独立」の問題を超えている。国民が自分のこととして考え、決めることこそが必要なのだ。そうでなければ、いかに「検察改革」が行われたとしても、B検事が弟に投げつけたこの、特捜検察のビヘイビアをあまりにもよく言い表している言葉は、「政治的検察」の中でさらに連綿と受け継がれていくだろう。
「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」

--

コメント(7) スタッフ

村木氏の無罪判決についてのブログ草稿を書いているとき、
村木事件の主任検察官によるFD証拠改竄が明らかになった
と報道がありました。

新聞でもテレビでも「信じられない」「ありえない」「検察の信頼は」等の
コメント、見出しが躍っていますが、検察と直接対峙した経験のある者としては、
全く意外ではなく、さもありなん、というのが正直な思いです。

見立てに沿わない供述は決して認めず真実とは離れたところで
供述を作文するのですから、
その延長線上にこのような行為があるのは、十分推察できるところです。

私の事件では、参考人として呼ばれた多くの人が、たとえ真実を貫こうとしても、
逮捕をちらつかせられ、
「すぐにでも会社をつぶせるぞ」「嘘でもいいから言え」「作ってでも言え」
と恫喝され、深夜まで帰してもらえなかったのは
以前のエントリーでも記述した通りです。

弟は精神的に苛め抜く取調べに耐え兼ね、「検事の意向に沿う証言をした」と
自分が認識している17日も前の日付で、「自白調書」が複数存在し、
これは一審の法廷でも「掠め取り調書」=捏造自白調書ではないかと争いになりました。

参考人として呼ばれた友人は、取り調べ検事に
「上司に報告しなければならぬので何か一つ悪口を言ってくれ」
と懇願されたといいます。

取り調べを指揮する上司=主任検事/特捜部長が
真面目な検事を真実から遠さけているとしか思えません。
検察が組織として証拠を捏造し得る証左です。

ですから、村木氏の、決して「信じ難い」ではなく、
「ここまでやるか」という言葉は理解できます。

あらかじめ決めた結論に向かい、無理やり事実を歪めてつぎはぎし、
供述調書を作成していく、検察がそのような手法をとるのは身に染みてわかった。
その流れで証拠物にまで手を付けていたのか、という思いです。

村木氏の一審無罪直後からNHKの「追跡!A to Z」をはじめとして
多くのメディアが事件全体を大阪地検のが生んだ取り調べの異常さ、
という観点で報じてきました。

「大阪地検を無くすんじゃないかという話も出ている」
とテレビで語る元検事の弁護士の方もいましたが
東京地検でも同じことが起こっているという事実を
身を以て知っている私としては信じがたい見方です。

下位組織固有の特殊性に帰結させようとする力が非常に強く
働いているのを感じておりました。

そこで今回の証拠改竄事件が発覚です。
夜のニュースでは、前田検事の映像を洪水のように流し、
個別のFDディスクデータの改竄手法や意味づけを事細かに報道していました。

個人と具体性に強くフォーカスすることで、
すでに組織の体質という全体像がぼやけはじめています。

直接の面識はありませんが、前田検事は東京地検が捜査を行った
私の事件でも取り調べを行っていました。
(一審後、虚偽の証言をしたのは間違いであった、控訴審で真実を述べたい
 宗像主任弁護士に連絡してきた水谷氏の取調べを担当していました。)

この点を取り上げるだけでも、決して大阪地検固有の問題ではありません。

このようなメンタリティを持った検事が高く評価され、
「エース」として全国の重要事件の捜査を飛び回り、
リーダー的地位を占めている、その事実の指し示す意味は自明です。

村木氏の無罪は、当然の結果です。
当然の結果でありながら幸運な事例であるとも、私は考えています。

今回の改竄事件の報道を通じ、
菅家さんの事件、爪はがし事件など無罪を勝ち取った冤罪事件が
例として挙げられていますが、
このFDは村木氏の有罪、無罪を左右するほどの力を持つ
証拠物であることを考えれば、
すでに有罪として確定している事件の中にこそ、
本当の悲劇、被害者が隠れているはず、
というところまで洞察を働かせる必要があるのではないでしょうか。

特捜検事をやめた方がテレビに出ることが多くなっています。
注意深く聞けばソフトにコメントしている言葉の端々に、
検察に連綿と現在も流れている体質の問題点が垣間見えます。

先日書いた、熊崎勝彦元東京地検特捜部長の
「黒を決して逃がすことはあってはならない」
という、
推定無罪の原則を軽視する言葉もその例ですが、
今回も22日の「朝ズバ」で元東京地検特捜副部長 石川達紘氏が、
検察内でなぜこのような改竄が起こりうるのか、という文脈の中で
「最近は調べられるほうも権利意識が高まっているので、
 (捜査は)難しい部分もある」
とさらりと話していました。

この言葉は捜査する側にいかに人権意識が希薄であるか、
聴取される側が、無知で大人しい相手ならば、供述を得るためには何でもやってよい、
と考えていることを間接的に示しているのではないでしょうか。

その意識こそが、特捜検察の体質、村木氏の事件、
そして私の事件をはじめとする無理筋事件の暴走の根となっているような気がいたします。

検察一体の原則、そのトップである最高検が捜査にあたるそうですが、
「前田検事の特殊な犯罪」「大阪地検固有の体質」を断罪して全てが終了しないか、
注意深く推移を見守りたいと思います。


コメント(9) 佐藤栄佐久

前エントリーに続き、昨年高裁判決前後に月刊FACTAに掲載された記事を転載させていただきます。

本12月号記事では、高裁判決を受け、その評価と背景を取材されています。


----

■2009年12月号
【福島汚職「賄賂0円」判決の前代未聞】
有罪となったが、「無形の賄賂」と苦しいレトリック。佐藤栄佐久前知事の執念の前に、特捜部は顔色なくす。

10月14日、東京・霞が関の裁判所合同庁舎。東京高裁の622号法廷で午後1時半の開廷直後、判決主文が言い渡された。記者たち十数人が入り乱れて飛び出してくる。携帯電話で司法記者クラブや新聞、テレビの社会部に速報する切迫した声が、廊下にこだました。


「有罪です。栄佐久被告が懲役2年、執行猶予4年。祐二被告が懲役1年6月、執行猶予4年です」


判決をリレーして聞くために外で待機していた同僚記者が尋ねた。


「追徴金はどうした?」


「あれ? あれ?」


東京高裁刑事5部(若原正樹裁判長)は、福島県汚職事件で収賄罪に問われていた前知事の佐藤栄佐久被告と、共犯とされた弟の祐二被告に対して、一審の東京地裁による有罪判決を破棄、2人の刑を軽くすると同時に、一審判決が祐二被告に課した追徴金をゼロにする判決を言い渡した。収賄罪は賄賂額を追徴金で没収する。賄賂額認定は事件の核心だ。それを「証拠上不明」なのでゼロ査定にしたのである。


|賄賂金額がついに消滅

法廷記者たちが困惑したのも無理はなかった。メディアに配られた判決要旨もわかりにくかったが、本当の混乱の原因は、誰も予測していなかった判決内容そのものにあった。


解説記事が配信されたのは夜になってから。異例の遅さである。翌朝の新聞記事はさらに奇妙だった。有罪判決なのに、元東京地検特捜部長の宗像紀夫主任弁護人は、記者会見で「実質的な無罪判決だ」と勝ち誇っている。その隣に載っている東京高検渡辺恵一次席検事のコメントは「検察官の主張が受け入れられず遺憾」というもの。どっちが勝者かわからないほどのねじれぶりだった。


判決の骨格を見てみよう。東京地検特捜部は、栄佐久知事の「天の声」によって前田建設が木戸ダム工事受注に成功、その謝礼として意を受けた水谷建設が祐二の会社「郡山三東スーツ」本社工場の土地を8億7300万円余で買ったことをとらえ、時価との差益と、取引後に祐二被告から会社再建に必要との要請で水谷建設から追加で支払われた1億円の計2億円弱が賄賂だとして起訴した。一審の東京地裁は、追加の1億円は賄賂でないとしてばっさり削除。祐二に7300万円余りの追徴金を課した。すでに賄賂額の認定は半額以下になっていたのである。


東京高裁は一審判決にならい、栄佐久が県の坂本晃一元土木部長に「天の声」を発したと認め、弁護側が公判で立証した「知事室のアリバイ」(本誌10月号参照)については門前払いで退けた。その一方で、収賄額認定にあたり「天の声」とセットで収賄罪成立の要件となる、兄弟の「共謀」の中身に踏み込んだ。


判決は「土地売買の換金の利益を得るとの認識」にとどまるとして、「(時価との)差額の利益を得る意思連絡を認め、賄賂として受け取る旨の共謀まで認めたのは事実誤認だ」と一審判決を批判して破棄。しかも栄佐久については「利益を得る認識がない」とまで言い切った。


それでも「換金の利益」が賄賂だとして収賄罪自体は成立させたが、朝日新聞が「得たのは『無形のわいろ』だとする異例の判断を示した」と書いたように、これは曲芸的なレトリックと言える。しかもここに至って2億円近くあったはずの賄賂は完全に消滅してしまった。宗像弁護士は「8億7千万円の価値のある土地を、8億7千万円で売ったという実質だけが残った。これでは通常の売買だ。どんな犯罪性があるのか」と呆れている。


「換金の利益」とは「売れないものを買ってくれた」という意味で、収益は含まれない。収賄罪は「全体の奉仕者」である公務員の犯罪として厳格に適用されてきたが、換金の利益のみで収賄罪を成立させた判決は初めてだと思われる。


この土地の売却にあたっては、創価学会も会館建設用として興味を示し、現在はショッピングセンターとして盛業である。祐二に会社再建の資金が急場に必要だった事情があったにせよ、前田建設にどうしても買ってもらわなくてはならない土地ではなかったのだ。


収賄罪は成立しているが、中身はない。この、ある意味大変テクニカルな判決の書きぶりは、もはや事実などどうでもよいかに見える。


若原裁判長は1979年任官の司法修習26期。同期には、「君はさだまさしの『償い』という歌を知っているか」と法廷で説諭した山室惠(現東京大学法科大学院教授)、破産手続きの改革を行った園尾隆司判事といった大物裁判官がそろう。本人も司法研修所教官を務めるなど、東京まわりの裁判官のエリートである。転任した先々で派手な事件に当たり、死刑判決を2回出すなど厳しい判断も目立つが、前任地の大阪高裁では検察の裏金を明かした直後逮捕された三井環元大阪高検公安部長の詐欺・収賄事件を担当。実刑判決を出したが「被告の直接体験の限度で不正流用の事実があったといわざるを得ない」と裏金の存在を認めるくだりをわざわざ書き加えるなど豪胆さも併せ持つ。


この細心と雑駁が同居する判決を眺めると、有罪判決には仕立てたものの、中身をがらんどうにして、暗に「無意味な裁判」と言っているかに見える。矛先はもちろん東京地検特捜部である。一審有罪判決後、「控訴すれば完全勝利」と大見得を切って実刑を求めてきた特捜部は、焼けビルのごとく収賄罪の廃墟と化してしまった控訴審判決を前に、顔色をなくしているのだという。


|特捜検察の「悪夢」は続く?

さらに特捜検察を追い詰めるかも知れない「次の一手」はすでに打たれていた。判決直前の10月8日、弁護団は坂本晃一元土木部長を偽証罪で福島地検に告発した。受理されて東京地検に回付されている。


なぜ今、偽証罪なのか。ある可能性に思い至る。――仮に告発を受けた東京地検が不起訴にしたとする。不服申立により、市民で構成される検察審査会に付される。起訴相当の議決を再び不起訴にしたら……今まではそれで終わりだった。ところが、今年5月施行の改正検察審査会法で検察審査会が2回目の「起訴議決」に至れば起訴は義務になる。しかも検察官に代わって裁判所が指定した弁護士が起訴するのだ。これは、特捜部にとっては「悪夢」だろう。


この事件では談合罪でも告発が行われている。すでに3年の時効が成立しているはずだが、現在、祐二が起訴されているので時効は停止。一審・二審判決がわざと雑に扱ってきた「天の声」と談合の事実が、このルートで解明される可能性もある。


06年の知事辞職・逮捕以来、最近まで沈黙を守ってきた栄佐久は、著書『知事抹殺』(平凡社)の刊行やブログの開設、知事時代の後援者との会合を復活させるなど、名誉回復に向けた動きを見せている。宗像弁護士率いる弁護団による司法改革をテコにした「ウルトラC」が実を結ぶのか、それとも上告した最高裁で決着を見るか。予断を許さない。


----
記事の転載を許諾くださったFACTA編集部に感謝を申し上げます。

コメント(2) スタッフ

福島県元土木部長の偽証罪、および競売入札妨害検察審査会への申立に関連しまして、昨年高裁判決前後に月刊FACTAに掲載された記事を転載させていただきます。

本10月号記事では、土木部長証言に関し、そのようなことは「なかった」ことの弁護団の証明を客観的に分析、紹介されています。


----

■2009年10月号
【小沢捜査の「原点」福島知事汚職の爆弾】
東北談合の「天の声」は幻か。特捜検察の恣意的な捜査が、服役中の証人の携帯メールで暴露された。

「小沢一郎vs特捜検察」の闘いは、政権交代でいま最終局面にある。東京地検特捜部は小沢の政治資金の向こうに潜む、東北建設業界の根深い談合構造を暴こうとするが、手段を選ばない粗雑な捜査手法は、逆に自らの首を絞め、ゴールを見失うことになった。「常に権力と対峙する」輝かしい特捜の看板と実力のアンバランス――その合わせ鏡とも言うべき裁判が東京高裁で来月判決を迎える。前福島県知事・佐藤栄佐久が収賄罪に問われた「福島県汚職事件」の控訴審である。そこに「小沢捜査」失敗の原点が浮かび上がる。


東京地検特捜部が地方に首を突っ込んで、県知事を逮捕したこの事件。前知事と弟の祐二が共謀して県発注の木戸ダム工事の入札に便宜を図り、見返りに祐二の経営する「郡山三東スーツ」の本社・工場の土地を、ダム工事を落札した前田建設工業の意を受けた水谷建設が時価よりも高く買い取ることで、その差額を賄賂としたというのが特捜部の筋書き。東京地裁で行われた一審では昨年8月、栄佐久と祐二に対し、収賄罪で執行猶予つきの有罪判決を言い渡した。


「前田(建設)は熱心に営業しているようだな」。元土木部長、坂本晃一が知事室で栄佐久自身から聞いたという「天の声」である。この坂本の証言だけが、収賄罪成立の根拠なのだ。聞いた日は2000年1月7日と一審は認定した。逆にその日に会った事実がなければ無罪になる。弁護団の藤原朋奈弁護士は知事日程を洗い、控訴審では栄佐久の本人尋問で「密室のアリバイ」論証に挑んだ。名探偵の目で次ページの図をじっくり眺めていただきたい。


|知事室の「密室のアリバイ」

当日、知事は昼をはさんで県職員と外出しており、知事室がある2階にいたのは午前中と午後の計1時間55分。この間、「知事レク」と称する各部局によるレクチャーが、奥の特別応接室で5件立て続けに行われた。県庁の中で知事レクは重要な会議と位置づけられ、中止・中断は天災などの緊急事態と国会議員の挨拶があった場合に限られている。そのほか市町村長など挨拶が必要な外来者は、特別応接室の扉を開けて、知事は在室のまま対応する。


坂本は「知事レクの最中、飛びこみで知事に面会した」と主張するが、その前に坂本の直接の上司である副知事が必ず話を聞く仕組みがあり「飛びこみ」は無理。さらに知事レク中は、知事の日程を差配する秘書課が面会者を基本的に断る。しかし緊急性が高そうなものは秘書がメモにして知事のもとに持参、その場で知事が判断する。つまり坂本の面会申し込みが事実なら、秘書課の記録や課員の記憶に必ず残る。


仮に知事が坂本に会うと決め、会議を中座したとする。知事室には廊下に面した扉がないので、図のように貴賓室と執務室を横切って知事室に入る。知事の入室を秘書係長が同行して確認し、秘書課で待つ坂本を入れる。知事室の反対側の扉は秘書課に面し、坂本はそこから入る。


facta0910.gif


栄佐久は県民の間にカリスマ的な人気を誇ったが、手続きや段取りへの独特なこだわりは、見方によっては「暴君」にすら映り、秘書課は常にぴりぴりしていたという。本誌が入手した、当時の秘書課作成の「知事対応マニュアル」には、知事が行事で挨拶する際の祝辞の準備や段取りから人間ドックに入るときの公私の分け方、果てはメガネの拭き方や置き方に至るまで、事細かに決められていた。坂本に対してもルールが厳密に適用されたと考えられる。


いくら9年前の出来事だとしても、知事が席を外せば、知事レクに参加していた県幹部職員と知事に随行する秘書係長の記憶に残り、知事レクを止めた横紙破りの坂本の行為は、秘書課員たちに記憶されるだろう。知事と坂本の「密室」はありえない。知事室の「天の声」はなかったと見るのが自然と思える。


「これは『悪魔の証明』である」


最終弁論の冒頭、宗像紀夫主任弁護人はこう喝破した。それはストーリーに合わせて事実を枉(ま)げた特捜部によって「ないこと」の証明を強いられた憤りに加えて、数々の事件で検察の「看板」をつくってきた元特捜部長の怒りもこめられていたろう。これに対し検察側は、「(弁護側の立証は)『会っていないから会っていない』との主張にすぎない」と答えるにとどまった。


最終弁論の中で、弁護団はもうひとつの「爆弾」を炸裂させた。一審で「受注の礼に土地を高く買うのだと思った」と証言した水谷建設元会長の水谷功が「土地購入は受注の見返りだとした自分の検察調書と法廷での証言は、虚偽だった」と語っていることを明らかにしたのだ。


衝撃的だった。土地購入は賄賂だとの証言は「自らの脱税事件で実刑を回避するために“乗せられた”もの」で、木戸ダム工事受注の談合は実際に行われたが「受注は秋保(あきう)(温泉)で決まった」というのだ。「東北談合のドン」と称された仙台の有力ゼネコンOBと前田建設副会長と水谷、そして坂本の前に県土木部長職にあった県OBの江花亮が同席した99年5月の会合のことで、水谷の新証言は、秋保ですでに発注者の意向が示されていたことを強く示唆する。翌年1月に栄佐久が「天の声」を出すまでもなかったのだ。


|「知事は濡れ衣」とメール

さらに水谷は言った。「土地取引は自分が儲けようとしてやった。賄賂行為はない。知事は事件には関係なく、濡れ衣だ」。水谷は自らの実刑は免れないとみて「戦術を間違えた。話がしたい」というメッセージを、なんとメールで宗像弁護士の携帯電話に送りつけていた。「驚いた。同僚の弁護士に『メールを消さないで! 証拠を保全してください』と言われたけれど、どう操作すればいいか、わからなかったよ」と当の宗像は笑う。弁護団は脱税で三重の刑務所に服役中の水谷を訪ね、「出廷して正直に話してもいい」意向を確認して控訴審で証人尋問を申請した。ところが、東京高裁刑事5部(若原正樹裁判長)は却下したため、最終弁論でこの新証言を暴露した。


福島県汚職では贈賄側の時効が成立しており、特捜部はそれをテコにゼネコン関係者から都合のいい調書を多数とったようだ。その内幕が水谷の「告白」で明らかになった。かつての「政商」の威光を失い、刑務所で服役している水谷が、この期に及んでウソをつく動機はない。  


栄佐久は控訴審判決を前にした9月16日、手記『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』(平凡社)を出版し、特捜部の捜査や取り調べの実体験を語り明かした(48ページの書評参照)。そこにまざまざと浮かぶ特捜検察の実力不相応の背伸びと「脱線」は今も尾を引いている。政権交代で民主党の法務大臣を迎える羽目になった法務・検察は、尻切れになった小沢疑惑を立て直そうと、獄中の水谷を何度も尋問し攻めあぐんでいるという(90~91ページ参照)。焦りの色の濃い特捜検察を、東京高裁はどう見るのか。栄佐久の判決は10月14日に言い渡される。(敬称略)

----
記事の転載を許諾くださったFACTA編集部に感謝を申し上げます。

コメント(0) スタッフ

私と弁護団は既述のとおり、元土木部長を偽証罪、および競売入札妨害にて東京地検へ告発を行いましたが、過日、不起訴との連絡を受けました。

私が業者の便宜を図るよう天の声を発したという「坂本証言」は私の事件における、唯一ともいえるの有罪の立脚点ですので、担当する東京地検としては偽証罪での起訴は出来ないのではないか、と我々は予測しておりました。不起訴を受け、我々は、6月16日、検察審査会への申し立てを行いました。

「坂本証言」は一切、裏付けるものがありません。「なかったこと」の証明は「悪魔の証明」といわれ、大変困難である中、弁護団の先生方はその事実が有り得なかったことを、私の指示を蓄積してマニュアル化されていた県庁のシステム的にも、物理的にも不可能であることを注意深く立証してくださいましたが、裁判においてはそれが吟味されることなく一蹴されております。

坂本氏に関しては本人の直接の現金の収受、さらに自宅の机の引き出しに2600万円もの現金が保管されていたことが明らかになっているにもかかわらず、不起訴となっております。

この2点について、事実に基づいて一般の市民の方の視点で再度判断をいただくべく、検察審査会への審査申立てを行った次第です。

以下、本申立てに関する宗像主任弁護士からのプレスリリースを掲載いたします。



マスコミ各位

平成22年 6月16日

佐藤榮佐久弁護団からのお知らせ
-坂本晃一の不起訴処分を検察審査会へ審査申立-

主任弁護人 宗像紀夫


1 坂本晃一にかかる告発事件の不起訴処分に対する検察審査会への申立について

 申立人佐藤榮佐久は、かねてから被疑者坂本晃一を競売入札妨害罪及び偽証罪で東京地方検察庁検察官に対し告発していたところ、同検察官は平成22年4月19日同人を不起訴処分に付した。申立人佐藤榮佐久は、この処分に不服であるので、本日(平成22年6月16日)東京検察審査会に対し審査の申立てを行い受理された。

 なお、被疑者坂本にかかる競売入札妨害事件とは、平成18年福島県発注にかかる流域下水道工事のいわゆる談合事件であり、偽証事件とは、平成19年8月24日申立人佐藤榮佐久にかかる収賄事件の法廷での宣誓の上、その事実がないのに記憶に反して、木戸ダム工事の発注に関し前田建設に受注させるように申立人佐藤榮佐久から示唆・指示された旨偽証した事実である。

2 その他参考事項 検察審査会への申立の理由等について

 申立人佐藤榮佐久は、元福島県知事であるが、身に覚えのない収賄事件で東京地検特捜部に逮捕、起訴され、第一審及び控訴審において有罪判決を受けたが、無罪を主張して上告し、事件は現在上告審係属中である。なお、検察官も上告している。

 申立人佐藤榮佐久にかかる収賄事件は、検察官の主張によれば、申立人は実弟祐二と共謀の上、福島県発注にかかるダム工事業者の選定にからんで、前田建設株式会社に便宜を与えた見返りに、祐二が経営する会社の時価8億円の土地を受注業者らに9億7000万円で買って貰ったことによる換金の利益及び時価と売買代金との差額約1億7000万円を収賄したというものである。

 その主たる証拠は、実弟の捜査段階の供述と元福島県土木部長であった被疑者坂本晃一の供述であった。実弟は、検察官の連日の威圧的な取調べによって自白を強要され申立人と収賄を共謀した旨の虚偽の自白をし、また被疑者坂本は、事実がないのに検察官に対し、自己の本件被疑事件を不起訴にすることの見返りに、申立人の刑事事件を裏付けるような虚偽の供述をしたものと認められる。

 すなわち、被疑者は自己の刑事責任を免れることと引き替えに無実の申立人を検察官に売り渡したのではないかとの疑念が払拭できない。検察官は、被疑者からこのような供述を獲得するために、当然起訴しなければならない被疑者の本件被疑事件を不起訴にしたのではないか。このようなことでは正義は実現できないと考える。

(なお、申立人の収賄事件は、第一審、控訴審を経て、検察官主張の収賄額、すなわち時価との差額約1億7000万円は完全に否定され、「ゼロ」と認定され、土地を現金に換えた利益のみが収賄だとする前代未聞の判決となっている。)

(1)本審査申立てに至る経緯

 申立人佐藤榮佐久は、平成21年10月8日、福島地方検察庁に対し、被疑者に、競売入札妨害罪(刑法96条の3第2項)及び偽証罪(刑法169条)の犯罪事実が認められるとして刑事告発をしたが、福島地方検察庁は、同年10月28日、これを東京地方検察庁に移送した。そして、平成22年4月19日、東京地方検察庁は申立人に対し、被疑者を不起訴処分とした旨を通知した。この間、東京地方検察庁がこの告発事件についてどの程度の捜査を行ったのかについては申立人(告発人)は聞知していないが、東京地方検察庁が、少なくとも申立人及び祐二などから聴取した事実はなく、綿密な捜査を行った形跡は認められない。

(2)競売入札妨害罪について

 被疑者は、平成18年9月25日、競売入札妨害(談合)罪の「共犯」として逮捕されたが、同時期に逮捕された祐二、門脇進、辻政雄、佐藤勝三らが公判請求されたのに、被疑者一人だけが、同年10月15日処分保留で釈放され、不起訴処分に付されている。

 被疑者は、辻とともに多数の工事の談合に実質的に関与しており、本件談合事件においては、東急建設の門脇進に対して入札予定価格を漏示するという重大な違法行為をした上、業界内を取りまとめるよう教示し、部下に便宜を図るよう指示するなど本件談合事件の主役ともいえる立場で関与しており、極めて悪質な犯行とみられるものであった。このような重要な役割をはたした「被疑者だけ」が起訴されないなどということは、通常は考えられないことである。

 さらに、被疑者は、土木部在職中などには、辻から直接、あるいは祐二を介して現金合計600万円を受け取っていた。また、被疑者名義の預金通帳には多数回にわたり、頻繁に百万単位の現金の出し入れが記帳されており、自宅の机の引き出しには2600万円にも及ぶ現金が輪ゴムで止めたまま保管されていたのである。

 これらの事実に鑑みれば、被疑者が、辻らと談合行為を繰り返していく中でこれらの現金を蓄積していった疑いが濃厚であり、検察官も、その不審な現金の蓄積について把握していた。

 ところが、検察官は、あえて、この疑念を解明することなく、これだけ悪質な談合関与行為を起訴することなく処分保留で釈放し、不起訴処分に付したのである。

(3)偽証罪について

 被疑者を逮捕した東京地検特捜部は、被疑者の預金通帳に記帳されていた多額の現金の出し入れ履歴から、被疑者が、辻らと談合行為を繰り返していく中でこれら多額の金を蓄積していった疑いが濃厚であることを把握していたことは、上述のとおりである。

 検察官が取調べにおいて上記事実をてこにして被疑者を厳しく追及したところ、被疑者は次第に追いつめられ、「すべてを見透かされている気」になり検察官に抵抗することをあきらめ、検察官に迎合する供述を行うようになったものと思料される。

 そして、被疑者は釈放間際、申立人が木戸ダム工事を前田建設に受注させるように示唆した旨を検察官に供述し、この供述直後に釈放された。

 釈放後、日ごとに上記に関する被疑者の供述内容が次第に詳細になり、具体的になっていったという供述経過をたどっている。

 さらに、被疑者は、公判前、不自然なほど多数回に及ぶ検察官の証人テストに応じ、検察官との間で証言内容について徹底的にすり合わせを行った。その上、証人テストのために上京した都度、出頭に要する交通費等の支弁をうけるなどの特別な待遇を受けていたのである。

 他方、被疑者は、弁護人の証人テストには容易に応じず、再三の申し入れに対して、ようやく弁護人の証人テストには1回応じたものの、自らの弁護人を付き添わせるという異常なものであった。共犯者であるはずの被疑者に対するこれらの特権的な取り扱いは、異常というべきである。


以上のとおり、本来は起訴すべき被疑者坂本晃一にかかる本件被疑事件を不起訴処分にした検察官の処理は明らかに誤っているので、検察審査会の公正な審理を求め、申立に及んだものである。

以上


コメント(0) 佐藤栄佐久

■システムの関係でコメントが送れない現象が断続的に続いております。
原因を調査中です。しばらくご迷惑をおかけいたします。申し訳ありません。また皆様の多大なご支援に感謝いたします。

【承前】

今回はネットを中心として、いつになく検察への批判が強いようで、それに対する反論としてなのか、テレビなどには盛んに検察のOBの方々が出演し、検察擁護の論陣を張っています。

論陣といっても多くはワイドショーなどでイメージアップを図る体の、軽いものがほとんどですが、その中に検察の体質をあらわすものとして看過できない発言がありました。

元東京地検特捜部長の熊崎勝彦氏の言葉です。

「白を黒ということがあってはいけないが、
 黒を決して逃すことがあってはいけない」

これは、大変大きな発言です。
「黒を決して逃すことがあってはいけない」という悪人を探す「意志」はともすれば正義感の表れのようにも聞こえますが、とても危険な考え方です。

熊崎氏は「治安の維持のため」と理由を述べていましたが、まさに人々の不安と不満に起因する象徴、はけ口としての「犯人探し」への欲求が強い場合、さらには私の事件の際に一部報じられたような検察官僚としての出世欲と結びついた場合、なんとしても犯人を挙げなければならないという「意志」は、罪無き人を無理やり犯人に仕立て上げることになります。

また長銀事件や私の事件のように犯罪自体が無い空っぽの場所に無理やり犯罪を作り上げ、本来平穏に暮らしているはずの無辜の人々に罪人というレッテルをはり、社会から抹殺することになります。

人間は無謬ではありえないので、熊崎氏の言葉の前半と後半は、現実的には相容れない考え方です。黒を須く捕らえようと思えば、その中に白が入ってしまうことは不可避だからです。

「黒を決して逃すことがあってはいけない」は近代司法の考え方を否定する言葉といえます。

「百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ」
これは熊崎氏の言葉と真っ向から対立する重要な概念です。

推定無罪の原則は、フランス革命までさかのぼり、西欧が数々の流血の歴史を経て確立しました。

なぜ血を流してまで守らなければならないのか、この言葉がどれほど大切かを噛みしめるのには、無実の菅家さんが失った人生の大切な年月を思えば容易なことと思われます。
また菅家さんに決して謝罪をしなかった元検察官はその「正義」の無責任さを体現しているのではないでしょうか。

罪のない人がなぜ自白するのか。そこで武器として使われるのが、相手の人格を否定し、周りの者を生活を脅かすことをほのめかす、マフィアまがいの精神的拷問です。

熊崎勝彦氏の言に見え隠れしている、黒を逃がさないために、正義のためには何をしても許されるという、誤った信念。拷問と国民の負託を受けた国会議員の逮捕と失脚を狙った印象操作、そこにあるのは、人権と民主主義の否定です。

私はある取材に、検察官が列を成してあらかじめ準備されたカメラの前を示威的に通るプロパガンダを、ナチの青年将校になぞらえてお話しました。

ナチにも自分たちなりの正義はあった。
私は自分の身に起こったこと、全くない事実をあらゆる手段を使って組み立てていく、「正義の暴走」が今回もまた起こっているのではないか、という強い危機感をもってあえて言及しました。

小沢氏が、石川氏が、またその秘書が何をしたか、していないのか、それはわかりません。しかし子供や家族、自分の会社や仲間への思いを人質にとりながら、供述を促すという精神的拷問は決して許されるべきではない。

何の罪もない者が、事情聴取を受けた後、倒れ、あるいは少なからず自殺を選ぶ現状は異常という他はありません。断じて許すことのできない、人権への罪と言っても過言ではないでしょう。

「●●は死体3個だから特捜部長に、××は3個の死体に植物人間を1個つけたから最高検検事に大出世というわけだ」
という落首めいた書き込みをネットで見かけました。

ここで数えられている人には私の極親しい知り合いも含まれています。何気なく読み、思わず目をそむけました。
因果関係はさておき、何が起こったか経験したものには理解できる話です。

「我々は金も人も時間もたっぷりあるんだ」これも検事の言葉です。

列をなす検事、事務官、深夜までの取り調べ、そして数百もの段ボール箱とその運搬。
ほぼ白しかないとわかっている中に黒を探す、「黒がいないことは許されない」ことだから、延々と探し続ける、考えるまでもなく、これを賄うのは全て税金です。

人権への脅威とともに、正義の名の下、何物にも監視されず、湯水のごとく、国民の税金を使う。

「○○VS××」、「△△逮捕、起訴」といった、図式、報道に惑わされず、「正義」の名の下に何が行われているのか、それを冷静に、客観的に見たときに、事の異常性に気付かない人はいないのではないでしょうか。

ただ、私が危機感をもっているのは検察に対してだけではありません。

小沢氏は自らの信念を実現すべく十数年の雄伏し、権力を目指してきました。

60年続いた自民党や自らの生活の「痛み」に不満を持つ国民の気持ちに潜むところにアピールし民主党は政権を手に入れました。

小沢氏の存在がなければ民主党の大勝はなかったでしょう。

ようやく手に入れた数の力を頼み、反対意見を封殺しながら、もはや自分たちに投票した国民などいなかったかのように約束を反故にする、政権をとってからの何かに取り憑かれたような行動は、折角「自分たちの手で政権を作ったのだ、作ることができるのだ」という国民の政治に対する希望、政治参加に対する自覚を打ち壊す異常なものだと感じていました。

あるいは官僚・検察を一体に、打ち砕く対象としたがゆえの拙速な行動なのかもしれません。

私は今、所詮政治家は金に汚いものだ、というステレオタイプ、国民に政治に対する虚無感を固定させないためにも、今自分の疑いを晴らすべく戦っています。

現在の民主党=小沢氏の手法は、やはり政治家は約束を守らないものだ、というもうひとつのステレオタイプを固定化することでせっかく取り戻しかけた政治への希望が無に帰することになるでしょう。

検察の手法、民主党=小沢氏の手法、そして二つの権力の対立の結果、国会でも危急に解決すべき問題がまともに論じられない。
国民は一体どこにいるのか。現在の状況は日本全体にとって不幸なことです。

人権と民主主義を軽視するのは歴史を俯瞰すれば全体主義の萌芽といえます。

私は逮捕される3ヶ月前、ストラスブールの欧州地方自治体会議の総会に出席し講演しました。ストラスブールは百余年の間に仏・独・仏・独・仏と5回も国が変わった悲劇の町です。今でも地方自治体が民主主義と人権を守るために血を流す覚悟で闘っている現場に立ち会ってきて、それを知事会で報告しました。

日本は血を流して民主主義・人権を勝ち取ったことがありません。
他者に対する人権への脅威がそのまま自分の人権への脅威に直結していることに気付かない人も多いように感じます。大手マスコミを通じて流される偽装された大勢の意見に疑問をもち、その中から真実を拾っていくことが大切です。

全体主義の対立概念として、民主主義の観点から事件の真相、背景を見極め、その上で日本の真の民主主義・人権の確立のために私自身が血を流す覚悟で闘っていくことこそ重要と考えています。

コメント(6) 佐藤栄佐久

小沢氏の秘書、石川代議士の逮捕を受けて、私の事件に関しても多くのメディアで言及され、また直接取材も多数受けました。

もとより私は、金丸- 経世会体制には楯突き、真っ向から対立する形で知事になりましたので、その申し子たる小沢氏と特に親しくしていたわけでもありません。ましてや事件の背景に実際は何があるか、もしくはないのかは私は知る由もありません。

ただ、今回の事件で報じられている、(もしくは大手マスコミではあまり報じられないが、各所ブログなどで取り上げられていることから見え隠れする)のは、検察の手法は私が受けた経験と重なる部分が非常に多いということです。

私が逮捕された時の幹部検事が立場は変われど、また今回の逮捕劇に関係しているとのことで、文字通りひと事ではありません。

石川議員は1月16日に聴取に応じる約束していたにもかかわらず15日に突然逮捕されたとのことです。

私の場合は、自分は一切、疑惑として取りざたされていたことは行っていないので、まさか逮捕などされるとは思っていなかったということもありますが、ほとんど弁護士と相談する暇もなく突然呼び出され、逮捕されました。

毎日新聞に「今日逮捕へ」との予測記事が載った日の午後、家に検察から電話があり、地元のホテルの駐車場に呼び出されました。

それまでは一切、聴取なども受けていなかったので、参考人聴取だと思ってホテルに宿泊する準備をし、弁護士に「これから行ってきます」と電話で連絡したのですが、東京にそのまま自動車で移送され有無を言わさず逮捕されたのです。

「人質司法」という言葉があります。
逮捕・拘留は、逃亡、証拠隠滅の恐れがあるため、身柄を拘束することが許されるのですが、実際は弁護士という専門家の助言と情報を制限し、あらゆる手段を駆使して自分たちが組み立てた通りの供述をとるために利用されます。

突然の逮捕は、供述をコントロールするための第一歩なのでしょう。

真実を貫こうとしても、検察官の意に沿う供述をするまでは、決して保釈されません。弁護士との接見は平日に30分ほどあるのみで、検察官は拘置中、土日なく、早朝から夜半まで取調べを行います。検事が思う通りの供述が得られないと、娘が高校生になるまでここから出さない、県議、支持者を皆逮捕する、等と恫喝し、怒鳴り、机をたたき、背広を床にたたきつけたことを、弟は法廷で証言しました。

「これでは誰でも犯罪者にされてしまう」と。

その法廷で検事が証人の証言中に突然、派手に机を叩き、傍聴人も裁判官もその場にいた全ての人が肝を冷やしたことは先述のとおりですが、法廷内ですら相手を威圧する行動をとるのだから、これが密室だったらどれほどか、想像に難くありません。

私との接見の際、弁護士が「弟さんは判断能力が失われてきている」と伝えられたのを覚えています。連日、長時間の取り調べはそれ自体、精神と肉体を痛めつける物ですが、洗脳に近い効果があることを私自身も感じました。

任意の事情聴取も、密室で長時間拘束し、脅迫的、高圧的に供述を促す点では同じです。

「週刊朝日」で二週に渡り掲載されている記事によれば、石川議員に対しては、小さい子供がいる女性秘書は深夜まで事情聴取に呼ばれたら困るんじゃないか、と脅しながら供述を促したそうです。

そして、実際に「押収したものを返却する」名目で問題の事件の際にはまだいなかった女性秘書を呼び出して、突然被疑者として事情聴取をはじめ、子供保育園に迎えに行かなくてはならないと何度も訴えても、何時間も外部との連絡さえ許さず、深夜まで解放しなかったのだそうです。

時代劇の中にしか存在しないような卑劣な悪役のやり口です。
この記事が本当なら、まさに、「だまし討ち」であり、「監禁」であり、無辜の国民の生活と安全を脅かす不正義と言わざるを得ません。

私の事件でも、13時から参考人聴取が開始され、19時頃、突然「被疑者になった」旨伝えられて被疑者として調書をとられた方がいます。
これは違法だそうです。
弁護団が公判で指摘する予定だったところ、検察が証人を取り下げてきて、もめたことを覚えています。

他にも私の事件に関わる事情聴取のエピソードを幾つか挙げてみます。

ある会社社長はこう言われました。
「お前らが東京地検に喧嘩を売るなら、こちらも考えがある。
お前らみたいのはどうにでもなるんだぞ。お前には7年くらい入ってもらう。
出てきた頃は会社もなくなっているし家族もばらばらになり浦島太郎のようになるぞ。
そうならないためにも真実を話せ。」

知らない、というと
「お前の立場だったら知らないはずは無い。知らないのなら想像して言ってみろ
そして想像して言ったとしたら、どうなっていたのでしょうか。

私を支持してくれていた会社の経営者たちは、多数「会社をつぶすぞ、すぐにでもつぶせるのだ」という検事の言葉を聞いています。

経営をした方ならわかると思いますが、「お前の会社をつぶす」と言われたら、社員たちが路頭に迷わないように、何でも言うがままにならざるを得ないでしょう。国家権力であるだけに、暴力団より強力な脅しになるはずです。

また、ある後援会関係者は以下のようなやり取りをしたそうです。
「あなたが来ない場合は200人よびますがどうですか」
と電話で呼び出され

「いろんな事分かってるだろう、金のこと」
―― 一切知らない
「20年間支えてたんだから。わかってるんだろう 佐藤栄佐久はうそつきで…(罵詈雑言)…」
―― 栄佐久はすばらしいから20年間も支持してきたのだ
「とぼけるな。ふざけるなよ。 一つでもいいから(具体的に)悪いことをいえ」
―― しらない
「栄佐久の 悪いことを知ってるような人を一人くらい言え。しらないことでもいえ
「知らないこと知ってると言ってもこの部屋の中だけで外には出ない」
―― もし栄佐久がそういう人間であるなら県民を裏切ることになる
「『もし』だけ削除して調書作成していいか」

最後のやり取りは、いかにして検察官が供述を曲げて調書を作成するか明確に表しています。
この後援会の方はやり取りを詳細にメモに残していました。

最後に、
「あなたは私を人間としてみていない。
野良猫か野良犬としかあつかっていない。
人間として扱ったのか、野良猫として扱ったかったのかはっきり言ってくれ」
と言って最終電車で帰ってきたそうです。

「嘘でもいいから言え」「作ってでも言え」「想像でもいいから言え」「想像できないなら教えてやる」

検事から全く同じようなこの類の言葉を言われたということは、2,3人に留まらず身内含め私の事件で聴取を受けた多くの人から聞きました。日常的にこのような手法で供述を積み上げていくのでしょう。

妹は取り調べ中に倒れ、一時意識不明になりました。検察庁までタクシーで迎えをよび、病院の「救急救命センター」に入りました。

命の危険がありました。
通常ならその場で救急車を呼ぶ必要がある状況で、検察官は決してそれをしなかった。

私は被告人尋問で、その後妹から聞いた話を「人権を守るべき最後の砦の検察が人命までおろそかにしている」と申し上げました。

苦痛を与えて、強制的に自白させる拷問は古くから犯人探しの手段として用いられました。
近代では拷問は否定され、先進国では明確に法律で禁じられています。

何故かといえば、拷問、苦痛から逃れたいという一心から絞り出した供述は虚偽である可能性が高く、真実を追求するに当たっては、邪魔にしかならないからです。

中世の魔女狩りを見て分かるとおり、とでも書くことができればいいのですが現実は前近代的な、相手の人格を破壊することによって、望む供述を得ようとする精神的拷問は前述の通り今、起こっています。

一段落して取り調べを受けた皆さんの声を聞くにつけ、早く火を消してよかった、と本当に思います。

そのような人権を無視した取調べの結果、私の場合、一度も会ったことがないゼネコン幹部による、私が彼のことを「門さん、門さん」と呼んでいた、などという、「真に迫った」虚偽の話が生まれるのです。

そのゼネコン幹部とは法廷で「初めて」会うことを楽しみにしていたのですが、検察側は証人申請を何故か突然取り下げてしまいました。

※長くなりましたので続きを次回に書かせていただきます。

コメント(11) 佐藤栄佐久
1  2