最高裁第一小法廷には、5人の裁判官が所属しており、その中に、私の事件に検事としてかかわった横田尤孝氏がいます。
次長検事として当時の特捜部長大鶴氏の捜査をコントロールすべき立場であった人で、起訴の判断にもかかわっていたでしょう。「審理には加わらなかった」旨、あえてエクスキューズが添えられておりましたが、かなり高位の検察側の当事者がいわばチームの一員として所属している法廷で裁かれる、というのはたして公正でありうるのか、疑問に思います。
私は知事時代、県民の立場で霞が関の多くの役所と道州制、原子力政策等を通じ激しく対立してまいりました。
裁判長の桜井龍子氏は労働省の局長を務めたたたき上げの行政官であり、いわば最高裁にあって官僚の象徴ともいうべき判事です。
霞が関を代表するような裁判長が私を裁くことはもとより、真実の追求・解明よりも、SOPを基本行動原理として動く官僚を裁判長とした法廷に、かくも複雑かつ重要な問題をはらむ事件を付す、というのも大きな恣意性を感じざるを得ません。
事件当事者の検事が属し、前例主義の官僚をリーダーとした法廷は、あえて検察捜査の在り方に大きな疑義が提示されている時期にありながら、それをチェックせずに追認するという、旧態依然とした司法の流れのまま「判断しない」結論をだすには最適な場所だったのではなかったでしょうか。
棄却、という前回の裁判を引き継いだ結論ですので、先のコメントのとおり判断に関して私の申し述べたいことは高裁判決と変わりません。司法の外、常識という観点で見るならば収賄の事実などは一切なかったのであり、私は潔白です。
高裁の時と異なるのは、行政=検察のチェック機関としての「司法」下級審のチェック機関としての「三審制」は機能していないという点に深く絶望した、という点です。
私は各所で、震災で顕在化した「人材の劣化」「統治機構の劣化」について申し上げてきましたが、最後の拠り所となるべき司法についても同様の思いを持たざるを得ません。
昨今も一切犯罪にかかわりのない潔白の人間が、なぜか詳細な自白をする、という事件が起こっています。
これは、もとより警察・検察による捜査取り調べを追認する機関に退化した司法が根となった劣化です。
私は知事時代、原子力政策をはじめとして惰性で突き進む巨大なブルドーザーのようなと霞が関と闘い、そして同じように、真実の在り処なぞものともせず、無辜の人間の人格を破壊しながらフィクションである自白、起訴、有罪へと理性なく突き進む検察とも闘ってまいりました。
いま日本を揺るがしている原子力政策と、検察-司法、二つの劣化を当事者として、文字通り身を以て経験した私が、止まらず闘い続けること、声を上げ続けることが、日本の劣化を食い止める楔となると信じております。
お力添えをお願い申し上げます。
検察の恣意的捜査、そして無批判、無原則的にそれを追認、なぞるだけの裁判官。この数年で、司法体系こそが罪を生み出している元凶とも思える構図が浮き彫りになったにも関わらず、依然、根本的な改革も反省もないまま、旧態依然の状況が続いていると思わざるを得ない事案が続いています。
この事件が、福島県の自治の根幹を突き崩す、国家による介入的事案だったにもかかわらず、メディアなかんずく地元2紙は、最高裁が棄却したという形式的事実だけで、罪が確定したとし、事件そのものの幕引き、風化を目指そうとの論調、意図がありありな紙面づくりでした。自由民権を主導した先達による創刊を思えば、自治を阻害し、原発事故という未曾有の人災への途を開いた中央政府、財界などに対して堂々と異議申し立ての論陣を張ってこその、県民紙の面目でしょう。
事件の検証こそ最高裁の役目と、本質に迫る論説を載せたのは河北新報のみでした。
福島に戻ってきてから、会う人、ことごとく暗黒のようないまの福島の状況を嘆いています。県が、市町村が、専門家が、県民に背を向け、そして正義の味方であるはずの地元メディアまでもが、です。
佐藤栄佐久さんは無罪であります。県を建て直し、自治を確立するため、一層、栄佐久さんの指導力、行動力、構想力が必要とされております。微力ながらお力になれればと思っております。
「地方の論理」も本当に素晴らしい本でした。はっきり申し上げて”福島の良心”だと思いました。僭越ながら どんどん、我々福島県民のために、真実を語り続け、書いて欲しいと念願します。
こう申し上げては励ましにも何にもならないかもしれませんが、トルストイの真の価値も没後、高く評価されました。真の一流はその存在が大きすぎて、現世ではなかなか理解されない。わからないのです。必ず歴史が証明すると思います。
国の蛮行は必ず敗訴するでしょう。
なぜ、これほど、福島県民の生活の術がたたれ自殺するほどまでに追い込まれているのに、福島県民のみならず子を持つ母親が放射能の危険性に心身異常をきたしているのに、なぜ、東電が潰れないのだ。
なぜ、原子力安全委員会は追放されないのだ。
経産省の保安員、推進してきた官僚は福島に来て除染しないのだ、
政治家は反省しないのだ。
当たり前のことが当たり前ではなく、国家教のような歪んだ思想に国民が狂わされている。
そんな中で学んだ、言葉です。
「人間として真の偉大さに至る道は一つしかない。何度もひどい目に遭うという試練の道だ」
アインシュタイン
また、アウンサンスーチー女史やマンデラ博士を思い出すのです。獄中、監禁で過ごし信念をまげなかった崇高な人生をおくられてきたことを。
深いまなざしに視点を動かせば間違いなく栄佐久さんもそうした歴史的な巨人の境遇に名を連ねる人物だと思います。
兎に角、頑張って語りぬいて欲しいです。
圧倒的に栄佐久さんの言葉を待っている人物が何百万人もいると思って下さい。
はじめて投稿させていただきます。
佐藤さんがブログの中でおっしゃっている、
>高裁の時と異なるのは、行政=検察のチェック機関としての「司法」下級審のチ>ェック機関としての「三審制」は機能していないという点に深く絶望した、とい>う点です。
の問題は切実だと思います。
それと判検交流の問題も。
東京地検特捜部が小沢さんを政治家として抹殺しようとして暴走を続け、虚偽報告書まで作成したことに対し、田代政弘、佐久間達哉、大鶴基成ら関係する検事は何の刑事処罰がされませんでした。
現在、市民団体による申立でもって東京第一検察審査会で審査がされていると思います。
この検察審査会も、最高裁の中に「検察審査会係」という係があり、全国165の検察審査会を裏で牛耳っているのが実体です。
今回の佐藤さんへの最高裁判決は不当であり、このままではもはや日本は衰退の一途をたどるでしょう。司法の問題は国家の根源にかかわる重大事項です。
司法制度を根本的に見直す必要があります。それにはネットメディアを利用し同じような思いをしている方たちと連帯し、国民運動につなげる必要があると思っています。
市民オンブズマンとして役所の不正や腐敗を追及して8年。2009年3月9日に沖縄市役所から不当な契約解除を受けて、2010年1月4日、那覇地方裁判所に本人訴訟による民事裁判を提訴。
相手は沖縄市、沖縄県外4名。ところが、沖縄市が証拠書面を偽装。県は答弁書をねつ造。そこで裁判官を忌避申し立てして、最高裁判所第一小法廷に特別抗告しましたが、却下。
その裁判官のひとりが、桜井龍子さんでした。日本の司法裁判の腐食は、もはや手の付けられないところまできています。ブログ「わらびジャ-ナル」で発信しています。
これが表ざたになったら日本の権力の中枢が破壊される情報爆弾です。
http://warabij.ti-da.net/c162407.html
沖縄市が起こした第二の「姉歯事件」です。地元新聞も沈黙。那覇地検や最高検察庁は、その事件を握りつぶしています。
http://warabij.ti-da.net/c162449.html