裁判・司法

コメント(0) スタッフ

2009年11月 2日

偽証罪での告発

坂本元土木部長を偽証罪で告発した。

私の中には、二人の相反する坂本君の姿が浮かんでくる。

一人は部長会議のメンバーであった坂本君である。
3役や県警本部長、教育長、7人の部長と一緒に私の話を熱心に聞いていた。

20世紀から21世紀へかけての理念、「地球時代にはばたくネットワーク社会、ともにつくろううつくしま福島」の実現に向けて常に熱く語る私の話を真面目に聞き実現に邁進していた彼である。
原発から過疎の問題まで幹部は一体になって取り組んでいた。

また、毎年2、30回機会あるごとに職員に講話をしていた。
繰り返し伝えたのは、あらゆる暴力・圧力に対して、職員が苦労していることがあったら3役はじめ皆で守る。そんな暴力はすぐ跳ね返し対応するようにという指示だった。

暴力とは即ち、ペンの暴力(検察が恐喝めいた取調べの際に使っていたブラックジャーナルなど)、拡声器などによる大きな声の暴力、政治家や上司を含む権力からの暴力・圧力、そしてもちろん本物の暴力などである。

それをフォローする意味で部長会議でも、常に邪(よこしまな)力に対しては部下を徹底して守るように指示していた。
「私の体質が部長会議の体質になり、部長の体質が職員の体質になり、県の体質が市町村や県民の体質になって行くので、心して行動するように」
熱心に聴いてくれていた坂本君の表情が目に浮かぶ。


もう一人の坂本君は、3年前に公判廷で突然立ち現れた。

「真実を話します」と宣言した直後に、事実ありもしない事を話している彼である。

検事から新聞を見せられて、坂本君が天の声があった旨証言したと知らされた際、事実に反する証言を行うとは、如何に過酷な取調べを受けているのかと、胸が締め付けられる思いだった。

法廷で、本人の口から同様の証言を聞かされたときは余りのショックで「真実、真実!」と不規則発言をしてしまう。裁判所とはこんないい加減なことが罷り通るところかとあきれ果てた。

その時の彼の姿は部長会議のあの真面目な、私のイメージにある彼とは全く別の人間であった。

法廷では、弁護団は坂本君が二千六百万円の机貯金があり、小分けに何度も銀行のATMで出し入れしていた事実を指摘した。
これは弁護側ではなく、検察側がつかんでいた事実である。

どうして、一公務員がそんな大金を手元にもっていたのか、まさに、談合事件の真相を調査している検察なら、私が検事なら、当然看過すべき事柄ではなく、厳しくその内実を取り調べ、ことによっては当然、訴追する必要があるだろう。

裁判長が厳しくその金の内容を本人に追求すると、検事が居てもたってもいられなくなったのか突然口を挟み始めた姿が印象に残っている。

裁判長は、自分が証人に直接聞いているのに、横からそれをサポートするのは一体どうなのか、と検事をたしなめていた。

検事は何故、法廷で「かばう」、追求から「まもる」かのような行動にでるのか。
金の出所については明確になっていないにも拘らず。
そこには、検察がつかみ、かつ明らかにされていない事実があることが浮き彫りにされてはいないか。

坂本君は起訴されていない。

もう一度確認するが、私が一銭の利益も受け取っていないことを考えればことの異常性は明白だ。

控訴審判決が出たことで、今回の告発の意味はよりはっきりしたように思う。

利益の供与はなかったという事実認定の上に、坂本君が言ったというから言ったんだ、という論法で、全く立証責任を果たしていない薄弱な証言のみを使って、有罪が成立しているのだ。
こんなことゆるされるなら「誰でも容易に犯罪者に仕立て上げられてしまう」

これは検察が創った犯罪である。

私は二人目の坂本君を恨んではいない。法廷では、私が「非常に行政に対して厳格な姿勢で臨んでいた、個別業者の名前など(本件を除き)一度も聞いたことが無い」旨の証言をしている。自分の偽証の脆弱性はもとより十分承知だろう。

むしろ、検察の利益誘導によってありもしない証言をした結果、今回の告発含め、未だにその証言に縛り付けられざるを得ないことを、不憫に思う。

本稿を書いている時、弁護士の先生から、28日に福島地検が偽証罪等の告発状を受理し東京地検に移送したという連絡があった。

「不正義が行われているかもしれない」証拠を目の当たりにしながら、それを追求せず、ありもしない虚構を作り上げた当事者、東京地検がどのような処理を行うのか、今は見守りたい。

コメント(4) 佐藤栄佐久

2009年10月15日

控訴審判決を受けて

土地を不当に高く買わせる事で実際の価格との差額分1億7千万円余りの利益供与を受けた、それが収賄だ、というのが検察にとって、今回の事件だったはずだ。

一審で1億7千万円のうち、1億円分は認められなかった。
それでも「差額の利益」は認定された。

二審では残り7千万円余りも認定されなかった。
検察が恣意的に現実離れした基準を使って査定し、無理やりひねり出した差額の根拠を一切認定しなかったのだ。

8億7千万円の価値がある土地を8億7千万円で売却した。後に残ったのはそういうことだ。

常識的に読むなら、利益の供与はなかった。
追徴金のない収賄事件など、前代未聞だという。

土地取引によって私が不当な利益を得たという、検察の主張はほぼ全て斥けられ、空っぽになったといってもいい。

「換金の利益」という言葉が残った。
「土地を売ってお金にすること」ということだろう。
そこに含まれる事実は、通常の商取引以外の何物でもないではないか。

記者からも、これが罪の要件になるのか、という質問があった。私も理解できない。

はじめから、「換金の利益」などを根拠に起訴などすれば、検察は笑いものになっていただろう。こんな収賄が成立するのは、人も行かないような利用価値のない荒野や換価できない土地を、売買の対象とした時くらいとのことだ。

当該の土地は、まさに市が発展し、どんどん賑やかになっていく、そのフロンティアにある土地だ。「売れない土地を買ってやる」という類の土地ではないことは地元の人間なら理解できない人はいない。

非常におかしな話だが、私は今ここまでの文を、ジャーナリスティックな視点で書いている。そうならざるを得ないからだ。
土地取引に関する話、土地の売買があった、という事実さえ雑誌に取り上げられた時点で初めて知ったのだ。ほとんどの知識は法廷での他の方の証言でしか得られていない。

三東スーツは父の創業した会社だ。なくなれば寂しくは思う。しかし、潰れるならそれでいい。そう思っていた。正直に言えば、原子力をはじめとする問題をかかえ、県民のまさに命を守るために闘う中でそんなことに関わる暇などあるはずもなかった。

今回高等裁判所は、正当な判断をしたのかといえば、決してそうではない。
「換金の利益」
そのような、実態としてはもはや蝉の抜殻にもならないような言葉に、有罪という実体を与えるために、私が「天の声」を発したという検察側の主張をくっつけた常人の理解からは程遠い判決だ。

仔細に反証した弁護側の意見はほぼ一顧だにされなかった。
むろん反証するまでもなく、私が特定の業者に便宜を図るなどということがないことは、県職員はじめ周りにいたものなら疑いようもなくわかっているはずだ。


「整合性」といった言葉を裁判長が発するたびに、私は検事を指差しつつ、苦笑せざるを得なかった。「君たちが作り上げたのだから当然だ」

調書に整合性があるのは当たり前だ。
検察がまずがっちりストーリーを作り上げ、それに当てはめるように調書は取られていったからだ。事実ではないストーリーに整合性を持たせるために、どれほど無理な取調べや、拷問に近い行為が行われていたか。その一端は法廷での証言にも、より象徴的には、一審の法廷で大きな破裂音とともに机を殴りつけ、裁判長の度肝を抜いた検事の行動にも明確に現れている。

「換金の利益」という、空っぽの言葉を使ってようやく有罪にせざるを得ない虚構の事件に、どれほどの無益な犠牲が払われたのか、それこそが本事件のそして司法の問題点だ。
そこに思いをいたさず、弁護団が立証した証拠の吟味を行わず、用意された虚構のストーリーのレールに乗る裁判所のあり方には我慢のしようもない憤りを感じる。

形として有罪にするために、真実を追究するというあるべき態度を放棄した、不誠実な判断といえる。

法廷を出た直後、ある記者が私に走りより「実質無罪ですね」といってきた。
「いや、有罪だ」そう私は答えた。
実質無罪という言葉にどれほどの意味があるのか、理解しかねる。ペナルティの観点からみれば、一審も「実質無罪」と言ってもいい。実際、そう書いたメディアもひとつふたつあった。

控訴審判決を受け、地元紙が号外を出した。
見出しは、黒々と大きく「前知事 二審も有罪」である。
これが事実だ。
長い年月を経て裁判所の判断や事件の内容の枝葉が全て落ちた後、この見出し1行のみが事実となる。

到底是認することはできない。収賄はなかった、利益の供与はなかった、そう言っているにも等しい判断をしながら、有罪とは全く承服できない。
もとより特定の業者の名前を私が挙げることなど、決して有り得ない事だ。

私が、知事であった時、私の指示に従い、不当な圧力を跳ね除け、襟を正して仕事をしていた県庁の多くの職員や、私の姿勢に共鳴し、支援して下さった多くの方々の名誉のためにも、くどいようだが、もう一度はっきりと言う。私が関わったという事実は一切ないのだ。

控訴審判決は、前述のとおり一審に比べれば大きな前進といえる。
しかし、是認することはできない。

薄皮を一枚々々はがすように、徐々に真実に近づいている、そう宗像先生はおっしゃった。
弁護団の先生方の一滴の水も漏らさぬ、緻密な反証と御尽力がなければここまで到達することもできなかったであろう。

私は、まだ日本の司法を信じている。過程の判断は間違うこともあろう。それは批判されるべきだ。だが判断の誤りが正されるしくみはしっかり持っている。それを信じている。

あと一歩で、真実に到達する。ここで立ち止まることは出来ない。

コメント(8) 佐藤栄佐久

「知事抹殺」出版記念会で出席される方へのサイン本に 『耐雪凌霜』 と書いた。

2009年9月27日に福島県知事を辞職してから3年になる。

『国策捜査ではないんですか』
と叫ぶ記者の声を後ろに聞きながら、18年間の幕を閉じるにはあまりに短い記者会見を終え会場を出た。

この3年間はあっという間に過ぎ去った。

30年前、私は参議院議員に立候補して落選、県内 4000集落をこつこつと回っていた。

会津地方の湯川村の旧家で話をしている時に『耐雪凌霜』と揮毫してある古い扁額が目にはいった。聞けば戊辰の戦争の際、撤退する侍に宿を提供したお礼に書いてもらったものだと言う。
郡上八幡の援軍が戊辰の時会津に来て、その隊の名前が『凌霜隊』だったと後で知った。
その一人が書いたのではないかと推察する。

私は浪人中の自分の気持ちにぴったりの言葉として色紙等に揮毫していた。

この3年間も同じ気持ちだった。

あり得ない事実で起訴、私の最も嫌う人物像に仕立て上げられ、そして、一審で証拠は吟味されず、有罪判決が出た。執行猶予がつき、追徴金もない。
裁判官は検察のいい加減な調書を踏まえた大岡裁きのつもりだったのだろう。

しかし、有罪だ。事実がなかったことは私が一番よく知っている。

私がこの理不尽な判決に声を上げず、政治家はどんなに清廉に見えても、所詮、皆金銭が絡んで汚い者だというステレオタイプを許してしまえば、日本という国は虚無主義に陥る

そのような近親者の言葉に、私は戦いの継続を決めた。

無私を政治信条とする私を県民も理解し、支持してくれてきた。
ここで終ることは、18年間、そして今も支持してくれる人々への裏切りになる。

法廷での戦いは2つ目のラウンドを終え、今この原稿を書いている時点で、控訴審の判決を待っている。

そして、拙著「知事抹殺」を出版し、この事件は一体何なのか、という事実を世に問うた。
沢山の方が出版記念会に出席してくれる。早速読んでくれた友人が手紙をくれた。

『耐雪凌霜』の気持ちで私とともにじっと堪え、
支援してくださっていた事は、言葉にできないほどありがたい。

皆様に、この場で改めて御礼を申し上げます。

戦いは現在進行形だ。
全てを失った私の新たな足場として、ここにブログを開設させていただくことにした。
拙い文ではあるが、拙著に引き続き、この場で私の考えと事実を綴っていこうと思う。

コメント(1) 佐藤栄佐久
前の10件 1  2