橋本大二郎氏の書評が先日、共同通信社より一部地方を除く地方紙に配信されました。
御厚意により、全文転載させていただきます。
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佐藤栄佐久著「知事抹殺」
著者とは、15年近くにわたって、全国知事会で席を同じくした。
国の原子力政策を批判し、分権なき道州制のもくろみに、
鋭く立ち向かっていた姿が思い出される。
本書にも、原発の核燃料税を、条例の改正によって引き上げることを
てこに、原子力政策の透明化と、
原発が立地する自治体の発言力の確保を国に迫っていく過程が描かれている。
その闘う知事が、ダムの発注をめぐる汚職事件で逮捕され、係争中だ。
国と激しく戦った結果、国にしっぺ返しを受けたというのが、著者の思いだ。
自らの経験から考えても、入札制度の改革と情報公開が進む中、
あからさまな「天の声」で、入札業者が決まることは、通常起こり得ない。
ただ、業界内の談合で決まった落札予定者が確実に入札に参加できるよう、
入札の条件を工夫する余地は、行政の側に残されている。
そこに、業界の意を体した、「天の声」が介在し得るわけだが、本件でも、
検察側の主張は、こうした組み立てになっている。
では、この業界は、なぜ談合の習慣から抜けきれないのか。それは、その方が、
技術力やコスト削減の努力で競争するよりも楽だし、
それが、多くの同業者が生き残るための、必要悪だと割り切っているからだ。
そうなると、制度を改めるだけでは根は断てない。
だからこそ、首長は、周りの者が「天の声」の仕掛けに組み込まれないように、
いつも目を配っておく必要がある。
著者の弟が、その役割を担った形の本件では、
そこに、首長としての手抜かりがあったことが読み取れる。
一連の記述は、公共事業の裏側や、取調室の緊迫感をかいま見る上でも、
貴重な証言だ。だが、法律的には判断が難しい。
著者も、この事件に、裁判員制度が適用されればどうなるか
と投げかけているが、
その意味では、自分が裁判員になったつもりで、本書を読んでみるのも面白い。
(橋本大二郎・前高知県知事)