■予告:「地方の未来(仮)」準備中
 「『フクシマ』論」著者 開沼博さんとの対論 「地方の未来(仮)」が10月下旬 青土社より刊行予定です。

■9月1日(木)共著「原子力村の大罪」発売されました。
既刊の「知事抹殺」・「福島原発の真実」、飯田哲也さん、河野太郎さんとの共著「『原子力ムラ』を超えて―ポスト福島のエネルギー政策」も是非ご覧ください。

■9月4日(日)講演会 「これからの原子力政策に必要なこと~福島原発の真実を語る」
  @岩瀬書店 八木田店プラスゲオ 2階 会議室 15時~
  〒960-8164 福島県福島市八木田字並柳163-1

 講演会の終了後、著書サイン会を行います。

■9月8日(木)雑誌 『世界』2011年10月号
 「真の敵を見誤ってはいけない──うつくしま、福島をあきらめない」掲載されました。

コメント(3) スタッフ

■コメント

 ブログにこんな記事を載せましたので、ご確認下さい。「グーブログ 九条バトル」で検索できる、週アクセス2000ほどのブログです。
 今まで大変ご苦労さまでしたが、これからも引き続き健闘されることを期待しています。
 

【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(1) 文科系
2011年09月09日 | 国内政治・時事問題 
 改めて今世の話題になっている前福島県知事のこの本を、昨日買ってきた。初版第1刷が09年9月、初版第6刷が本年5月とあって、東電(福島原発)を舞台とし今や悪名高い検察特捜が引き起こした事件の報告なのだから、話題になるのは当然の話だ。要約すれば「東電福島原発を巡る長年のやり取りに絡んだ、国策捜査」ということになるのだから。ハードカバー全340ページのうち206ページを昨夜一挙に読んでしまった。それほどに興味深い、大事な事件と読んだ。詳しい内容は、後に何回かに分けてでも是非要約したいと予告しておいて、今日はこの本の周辺事情とか、貴重な価値などを巡って、書評めいたことを書いておきたい。
 
 この本に書いてあることを周辺予備知識など何もなくてただそのまま読んだだけとしたら、この内容はにわかには信じがたい。それほどに酷い冤罪ということだから。この内容が真実ならば、僕がここでも近ごろよく使う言葉で言うと「必殺仕置き人かゴルゴ13がこの日本に存在するならば、あの検事たちへのこの恨み、命に替えても晴らして欲しい」というものだろう。佐藤栄佐久氏がそのように、血を吐く歯ぎしりをしていることは間違いない。なんせ、現職知事の事情聴取もない逮捕・即依願退職と発展した異例の大事件だったのだから。
 そして、僕はまた、ここに書いてあることは全て事実だろうと確信する。事件・容疑の概要はこういうものなのだが。
『この頃になると、私も、特捜部がどんな事件を描いているのかが、だいたいわかってきた。
 前田建設が水谷建設を手先に使い、官製談合の謝礼として郡山三東スーツの土地取引の対価を支払ったという構図なのだ。つまり、ストーリーはこうだ。
「木戸ダムの発注で官製談合が行われており、県側は祐二が窓口になって話をまとめた。発注権者の知事が祐二に隠れる形で、県職員に働きかけて前田建設が発注できるように便宜を図った。ダムの受注に成功した前田建設は、謝礼として、郡山三東スーツの土地を水谷建設を迂回して高く買った」』(196ページ)
 なお、郡山三東スーツとは佐藤前知事の家業の会社、祐二とは知事の弟でここの社長である。ここがつまり、「検察が描いた構図が成り立ったとしても、ご本人は一銭ももらっていない収賄事件」と語られるゆえんである。収賄罪とは、公務員でないと成立しない事件なのだから。なお、この木戸ダムというのが、東電福島原発絡みなのである。『2008年4月に竣工し、福島第2原発、広野火力発電所が使用する水の供給源の役割も担う』とあった。なお、ここの水谷建設とは三重県に本社があって、確か陸山会事件でも小沢告発の検察側証言人になっていたかと思う。
 
 この事件は、村木厚子厚労省局長冤罪事件、陸山会(冤罪)事件をその後に体験してきた我々にとっては、既にもうこんな既視感がある。だから、これは事実だと確信するのだ。
「検察の構図に合わせて、先ず周辺を『自白』させる」「その自白でもって強行に迫り、焦点のご本人に『検察のお見立て通りでした』と『白状』させる」「本人はたとえ濡れ衣だと分かっていても、結局『白状』せざるをえない。周辺の親しい人々がどんどん拘留され、自殺者も出るほどに迫られるのだから」。また、事件の背景が「国策捜査」であることも同じだ。村木事件、陸山会事件は民主党政権対策であったが、この知事抹殺の国策とはズバリこの二つだ。「知事・福島県による長年の原発村批判への国策」「地方分権・闘う知事たちに対する国策」。なお、東電は佐藤前知事に恨みがあると言って良い。2002年9月2日に現・前・元ら4人の社長経験者が引責辞任をさせられているのである。佐藤らが問題にした「原発検査記録改ざん事件」による引責であって、会長と、平岩外四ら2人の相談役との辞任までが含まれていた。なお、村木厚子事件に関しては当ブログ10年3月15日、28日、31日拙稿に詳しい。このエントリーは、前田検事によるフロッピー改ざんや、冤罪判明のかなり前に書いたものだ。

 「知事抹殺」の帯文章を紹介しておこう。
 表「特捜検察に失脚させられた前知事は東電・経産省の天敵だった。原発『安全神話』のウソを見抜き、驚くほど正確に悲劇を予見したのに、口を封じた国家の恐るべき『冤罪』」
 裏「『知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する』(東京地検特捜部検事)」

 今回分の最後になるが、佐藤栄佐久の公式サイト・アドレスをご紹介しておこう。
 http://eisaku-sato.jp/ 】 

 昨日の続き、その(2)を紹介します。多分、(4)まで続くと思います。


【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(2)  文科系
2011年09月10日 | 国内政治・時事問題 
その2 判決と最大争点

 佐藤前知事の「罪状」がこういうものだとは、前回に述べた。以下、『 』は、本分からの抜粋である。
【 『この頃になると、私も、特捜部がどんな事件を描いているのかが、だいたいわかってきた。
 前田建設が水谷建設を手先に使い、官製談合の謝礼として郡山三東スーツ(知事の家業の会社ー文科系)の土地取引の対価を支払ったという構図なのだ。つまり、ストーリーはこうだ。
「木戸ダムの発注で官製談合が行われており、県側は祐二(知事の実弟、家業の現社長ー文科系)が窓口になって話をまとめた。発注権者の知事が祐二に隠れる形で、県職員に働きかけて前田建設が発注できるように便宜を図った。ダムの受注に成功した前田建設は、謝礼として、郡山三東スーツの土地を水谷建設を迂回して高く買った」』(196ページ)
 ここがつまり、「検察が描いた構図が成り立ったとしても、ご本人は一銭ももらっていない収賄事件」と語られるゆえんである。収賄罪とは、公務員でないと成立しない事件なのだから。なお、この木戸ダムというのが、東電福島原発絡みなのである。『2008年4月に竣工し、福島第2原発、広野火力発電所が使用する水の供給源の役割も担う』とあった 】

 さて、判決はこういうものである。先ず、08年8月の第1審。
 栄佐久、懲役3年、祐二、2年6か月。いずれも執行猶予5年。追徴金が72,720,317円。

次いで、今版の追記として、09年10月14日に第2審判決報告が末尾にあった。(この本の初版第一刷は2009年9月16日であって、僕が読んでいるのは今年5月16日に出た初版第6刷である)
 栄佐久、懲役2年、祐二、1年6か月。いずれも執行猶予4年。そして、追徴金は0円、つまり収賄はなしというものであった。ではなぜ、収賄罪になるのか。こんな理屈を付けたのだという。
『「換金の利益」(売れない土地を買ってもらった)があったとし、収賄罪自体は成立させた。特に私について「利益を得る認識がない」とまでこの判決は言及し、一審よりも強く「実質無罪」を示唆している』(343ページ)

 なお、上記の「売れない土地を買ってもらった」は全く事実ではないと、文中に示されている。この土地の「換金」(8億7000万円)の直後から2度ほど転売されているのだが、その値はどんどん高くなっていく。最初が9億6000万円で、次ぎにあるファンドに転売された時には、12億を超えている。

 さて、これがどうして犯罪になるのだろうか。それも、圧倒的多数で支持されている現職知事を逮捕するという罪に。たとえ犯罪と言えても、本人の犯罪という証拠は何もなく、全くの形式犯にしか過ぎぬものである。
 現在までの争点は二つあって、一つが「兄弟が共謀した」資金作り、今一つが木戸ダム発注先決定に向けて(佐藤前知事の)「天の声」が存在したというものである。前者は、後者が否定されれば前知事自身の犯罪には全く当らないはずだ。そして佐藤前知事は現在、「天の声」を証言した坂本土木部長を、一審での偽証と談合の罪で告発している。
 この坂本氏については、個人名義の銀行入金が頻繁で、その額も凄い。こんなふうに法廷で立証されている。04年が1200万円ほど、05年が1900万円ほどを、それぞれ何回もに分けて入金している。この全ての出所について彼はこんな証言をした。
「親の資産や香典からタンス預金にしてあったものだ」
 彼と前知事弁護人との法廷やりとりをご紹介しよう。
『 「一番多かったとき、タンスにはどのくらい入っていたのですか」
 坂本は答えた。
 「2500万~2600万です」 』

 さて、前回紹介したこの言葉「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」は、知事逮捕に先立って祐二を調べた時に、東京地検特捜部・森本宏検事が発したものだ。この事件はやはり、村木厚子免罪事件、陸山会免罪事件と同様、国策捜査と観るのが妥当だと思う。福島原発や地方分権について、佐藤栄佐久氏は、どのように国に警戒されていたのだろうか。】

 2回送らせて頂いたものの、最終回です。
 本当によい著作を書いて頂いて、有り難うございましたと言いたいです。
 どこかで一度お話も聞きたいような。できたら親しくお話ししてみたいような。ここまでの紹介を書き進んできた今は、何か他人とは思えないような気分です。


【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(6)逮捕直前の原発攻防と「むすび」  文科系
2011年09月15日 | Weblog
 前回最後は、こうだった。東電の社長、会長、相談役2人というトップ計4人が02年9月に引責辞任した。こういう社会的大事件の成り行き・結末について、佐藤が言わば先導したとも言えるのである。なお、この相談役の1人、平岩外四が元日本経団連の会長だったということが、この事件の大きさを示している。

 日経が見た佐藤

 さて今回は、以下を見ていく。その後、06年10月の佐藤逮捕までを。日本の原発問題をめぐって、とくに福島県が当面白紙撤回を内外に表明し続けたプルサーマル問題をめぐって、佐藤がどう振る舞っていったか。原発推進者から見れば、彼はどういう存在であったか。
 まず、これらのことを白日の下に晒している象徴的な資料が存在する。03年6月5日の日経新聞にこんな記事・文章が載っている。以下『 』はすべて、本文からの抜粋である。
『すると6月5日付の「日本経済新聞」に、「最悪の電力危機を回避せよ」というタイトルの社説が載った。
「5月はじめに運転を再開した柏崎刈羽原発6号機に続いて、6月中にあと三基が運転できて首都圏の電力不足は解消されるはずだったのに、佐藤栄佐久知事が運転再開に対して地元と県議会の同意の他に新しい条件を持ち出したために、見通しが狂った。再開時期が知事の胸先三寸というのでは困る。一日も早く合理的判断を」
 これが「東京」の本音だろう』(P97)

 国内最大の原子力事故をめぐって

こうした状況下でまたしても原発大事故が起こる。04年8月9日、関西電力美浜原発で作業員4名がやけどで死亡、7名が火傷。
『死者の数ではあのJCOの事故を上回る、国内最大の原子力事故』。説明は省くが、当時の佐藤らは関西電力をこう見ていたということだ。『「安全軽視は関西電力の企業文化」のようだ』(P102)。
 この「関西電力の企業文化」に関わって04年12月22日、佐藤はこんな言動にも撃って出ている。その日にあった原子力委員会の「福島県知事のご意見を聞く会」で、委員構成をめぐってこんなことを発言している。
『「11人の死傷者を出した関西電力の会長が、安全に関する部会に出ているのはおかしい」』
 これに反論した1女性委員に、佐藤はこんな批判も敢行している。
『「原子力政策決定についてフランスは16年、ドイツは20年もかけているのに、あなたが4~5か月で結論を出さなきゃいけないなんて思ったのは、誰に刷り込まれたのですか」
 と反論した。二、三回「失礼ね」という言葉が耳に入ってきたが、反駁はなかった。』(P104)
 
 逮捕前年

 逮捕前年、05年を迎えて、6月には『福島内原発、全基稼働再開』という出来事があった。こうして、東電との関係はやや改善されていたということだが、経産省とはさらに激しいやり取りになっていく。
『10月11日に開かれた国の原子力委員会で「原子力政策大綱」が承認され、14日の閣議で国の原子力政策として決定されることとなった』
『10月18日、国が安全を確認した原発が県の意向で運転できない時は、地元への交付金をカットする方針を決めたようだ。さっそく原発立地自治体を恫喝してきたのである。
 これまで国が「安全だ」と言って、安全だった例はない。県として県民の「安全・安心」のためこれまで通りやって行くだけだ。
 記者会見でこの件について問われてこう答えた。
「議論に値しない。枯れ尾花に驚くようなことはない」
 国からの交付金が来る来ないにかかわらず、県が独自に原発ごとの安全を確認する方針に変更はないことを強調した』(P107)

 さてこのころ、福島の言わば「同僚」に当る青森と佐賀は『「陥落」』していたと語られる一方で、福島と国とのやりとりは、言わばその頂点に達していた。
 06年新春、先述の国大綱実施ということで、東電も自社原発の3,4基でプルサーマル実施を表明する。対する福島は、
『私は記者たちにこう答えておいた。
「計画がどのようなものであれ、県内で実施することはあり得ない」』

 むすび

 「佐藤栄佐久家宅捜査、天の声はあったのか」、こんなマスコミ大劇場の開始は、この年の秋だ。ご記憶の方も多かろうが、あれほどの大騒ぎに、「公正」の欠片でもあったろうか。マスコミとは、なんとすっとぼけた存在だろう。無数の大の大人が、佐藤と同じたった一度の命を賭けるようにして、夜討ち朝駆け、大暴れをしていたのだ。

 さて、このシリーズの結びを、佐藤の叫びで締めたい。タイトル『「佐藤栄佐久憎し」という感情』の中にある一節である。
『もともと私は、原発について反対の立場ではない。プルサーマル計画については、全国の知事の中で初めに同意を与えている。そういう私が、最後まで許さなかった「譲れない一線」のことを、国や関係者はよく考えてほしかった。
 それは、「事故情報を含む透明性の確保」と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の二点であり、県民を守るという、福島県の最高責任者が最低守らなければならない立場と、同時に「原発立地地域と過疎」という地域を抱えていかなければならない地方自治体の首長の悩みでもある。繰り返しになるが、原発は国策であり、知事をはじめ立地自治体の長には何の権限もない。しかし、世論(県民の支持)をバックにすると原発が止められるのだ。むろんこれは、緊急避難である。
 私が主張したことは、そんなに無理なことだっただろうか。その二点さえ経産省と東京電力が押さえていれば、これほどのこじれ方にはならなかったと考えられる』

 この紹介シリーズを終えた、僕の感慨。文字通り、命を賭けた渾身の一作だと読んだ。それも理念と言い、構成と言い、非常な名作だとも読んだ。そんな気持ちであちこちを読み直してきた。過去にこれほど読み込んだ本は、累計七年もかけた末の卒業論文関係以外にはないのではないか。この本、あるいはこのシリーズをもし福島の方が読んでくださっていれば、事故後半年どんな思いになられるだろうかと、そんな気持ちでここまで書き進んできた。著者の血の叫び、エネルギーが僕に憑依したのかも知れない。
 
(終わり)】