お知らせ

「知事抹殺」出版記念会で出席される方へのサイン本に 『耐雪凌霜』 と書いた。

2009年9月27日に福島県知事を辞職してから3年になる。

『国策捜査ではないんですか』
と叫ぶ記者の声を後ろに聞きながら、18年間の幕を閉じるにはあまりに短い記者会見を終え会場を出た。

この3年間はあっという間に過ぎ去った。

30年前、私は参議院議員に立候補して落選、県内 4000集落をこつこつと回っていた。

会津地方の湯川村の旧家で話をしている時に『耐雪凌霜』と揮毫してある古い扁額が目にはいった。聞けば戊辰の戦争の際、撤退する侍に宿を提供したお礼に書いてもらったものだと言う。
郡上八幡の援軍が戊辰の時会津に来て、その隊の名前が『凌霜隊』だったと後で知った。
その一人が書いたのではないかと推察する。

私は浪人中の自分の気持ちにぴったりの言葉として色紙等に揮毫していた。

この3年間も同じ気持ちだった。

あり得ない事実で起訴、私の最も嫌う人物像に仕立て上げられ、そして、一審で証拠は吟味されず、有罪判決が出た。執行猶予がつき、追徴金もない。
裁判官は検察のいい加減な調書を踏まえた大岡裁きのつもりだったのだろう。

しかし、有罪だ。事実がなかったことは私が一番よく知っている。

私がこの理不尽な判決に声を上げず、政治家はどんなに清廉に見えても、所詮、皆金銭が絡んで汚い者だというステレオタイプを許してしまえば、日本という国は虚無主義に陥る

そのような近親者の言葉に、私は戦いの継続を決めた。

無私を政治信条とする私を県民も理解し、支持してくれてきた。
ここで終ることは、18年間、そして今も支持してくれる人々への裏切りになる。

法廷での戦いは2つ目のラウンドを終え、今この原稿を書いている時点で、控訴審の判決を待っている。

そして、拙著「知事抹殺」を出版し、この事件は一体何なのか、という事実を世に問うた。
沢山の方が出版記念会に出席してくれる。早速読んでくれた友人が手紙をくれた。

『耐雪凌霜』の気持ちで私とともにじっと堪え、
支援してくださっていた事は、言葉にできないほどありがたい。

皆様に、この場で改めて御礼を申し上げます。

戦いは現在進行形だ。
全てを失った私の新たな足場として、ここにブログを開設させていただくことにした。
拙い文ではあるが、拙著に引き続き、この場で私の考えと事実を綴っていこうと思う。

コメント(1) 佐藤栄佐久
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